FC2ブログ

第63話 救われた命

2011年08月12日 08:14

前話で紹介した「ベートーベンのピアノ協奏曲第4番」は、私の最も好きなピアノ曲のひとつだ。次の第5番「皇帝」ももちろん偉大な曲だが、私はこちらの方が感動する。ところでこの曲といえば、ベートーベン直系の大ピアニスト「バックハウス」が最も好んだ曲だが、幸いステレオ時代まで生きてくれたので、その素晴らしい演奏を良い音で聞くことが出来る。シュミット指揮の協奏曲全集を持っているが、正に名演。何度聴いても惚れ惚れする。私はこのレコードを、少しでも良い音で聴く為に、オーディオに金をつぎ込み、マニアな世界にのめり込んだ。人があまり来ない山奥に山小屋を建てたのも、実はこれが大きな理由だった。ストレス(騒音加害の心配)なく音楽を楽しみたかったのだ。リビングが異様な吹き抜け構造になっているのも音響効果のためだ。ああいうレコード(名盤)は、それほど人生に影響を与える。


前話でこの曲をアップするにあたり、いろいろな演奏を聞き比べてみたが、その中で2つ紹介したい演奏がある。ひとつはそのバックハウスが、大指揮者カールベームと競演した演奏だ。何と美しいカラー映像で全曲アップされている!!! 音質も良い。 いつ削除されるか分からないので、早速保存したのは言うまでも無い。前述のシュミット版の場合、正にバックハウスの世界、彼が中心の、彼の理想の演奏、となっているが、大指揮者ベームは違う。堂々と、この偉大なピアニストと渡り合っている。両者は若い頃からの付き合いのようだが、当時70代後半のバックハウスからちょうど10歳年下のベームは、この時、あるいはこの頃より、師弟関係から、師匠もビックリの大きな存在に変化!という状況だったのかもしれない。このベームの演奏は、数ある彼の名演の中でも、トップクラスではなかろうか。ベームが前面に出てシュミット版とはある意味真逆な演奏だが、これはこれで素晴らしい。演奏終了直後にベームを見つめるバックハウスの表情が印象的だった。私には、「やるな、ベーム君」という表情に見えた。そういえばカデンツァ(独奏)の時のバックハウスを見つめる楽団の表情も印象的だった。カメラがなぜ彼らの表情をアップにしたのか分かるような気がする。おそらく私も、感動のあまり、あんな顔をして見ていただろう。


そしてもうひとつが、前話で紹介したクララ・ハスキルの名演だ。本当に良い時代になったものだ。こんなに簡単に見つけ出し、それを自由に聴く事が出来るなんて、これは、昔のレコードマニアには、夢のような世界だ。音質も、高級オーディオにつなげば不満も出ようが、中級クラス程度の物なら、CDとさほど変わらない音で聴くことが出来る。少なくとも使い古されてボロボロのレコードよりは、嫌な雑音が出ない分だけでもずっとマシだ(しかし良い状態のLPレコードの圧倒的な生々しさは、デジタルとは比べ物にならないほど良いと思う)。ちなみに何やらマニア達は、凝ったデジタル処理で、さらに高品位なサウンドを引き出しているとか。ネットから開放されているデジタル音源に、それほどのエネルギーがあるのかと、うれしさで心が躍る。今日紹介した演奏も、音の鮮明さに驚いた。大袈裟に言えば、現在の録音と比べても遜色ない。そうなると、百年もの歴史の中から「名演!」と選ばれる巨匠たちの録音は、現役の演奏者達にとって深刻な脅威だろう。CDが売れまくって左うちわ、なんて事は、もうありえない。気の毒な話だ。教室を開業するかライブでマメに稼ぐしかない。だが、どれほどの需要があることやら。


スイスで、そのバックハウスとクララが、並んで歩いている写真がある。ピアニスト同士が仲良く歩いている写真など珍しいと思うが、しかもそれがあの二人だ、色々な想像をかきたてられる。 ベートーヴェンのピアノソナタ第32番ハ短調作品111という非常に素晴らしい名曲がある。ベートーベンの最高傑作のひとつだ。この曲の両者の演奏は、協奏曲第4番の時以上に対照的だ。驚いた。かなり違う。この曲のメインは何といっても第二楽章の、得体の知れない不思議な美しさ(様々なサイトで詳しく紹介されているので技術的解説は省略)だが、クララの演奏は本当に美しい。私は初めて、この曲の本当の美しさを知った気がする。それに比べバックハウスの演奏は、武骨だ。しかし、何と感動的なことか。演奏終了後、私は、おもわず目頭が熱くなった。この両者の名演の間に、優劣など存在しないが、例えて言えば、バックハウスの演奏は、もったいなくて頻繁には聴けない、数年に一度、身を清めて、正座して聴きたい。それに対しクララのあの美しい演奏は、年に一度は聴きたい。そう思った。 両者はあの散歩の時、いったいどんな事を話して談笑していたのだろうか。「ウーちゃんの演奏ステキよ」「いやいやクララ、君の演奏こそ素晴らしい!」てな事を言って、互いに褒めあっていたのだろうか。(笑)


ふたりは10歳ほど違うが(クララが年下)共に10代半ばで華麗なデビューをし、大活躍した。しかし両者には、大きな違いがあった。バックハウスは生粋のドイツ人(戦後スイスに帰化)。そしてナチスの総統ヒトラーが彼の大ファン。方やクララは、ナチスから虫けら扱いされたユダヤ人。彼女は、命からがらフランスからスイスへ逃げ延びたという。クララは病弱で当時も重い病気にかかっていた。しかも有名人だったために顔が割れている。スイスまでの逃避行は、大変な苦労だったろう。クロード・ルルーシュのレ・ミゼラブル(1995年フランス)という映画がある。当時フランスには、少なくないユダヤ人差別と偏見があった。ナチス占領下でそれが噴出、一部の心無い連中が、よってたかってユダヤ系の人々の弱みに付け込み、彼らの財産を盗んだりした。この映画ではそれが克明に描かれている。さらには、かくまうふりをして性的趣向で地下室に閉じ込めたり、挙句の果てにはスイスへの亡命を助けるふりをして虐殺に加担したり等々、そういうところまで克明に描き、自国フランスの近代史の暗部を、生々しく告発している。「ありがとう、私達このご恩は一生忘れません。ああ目の前がスイスね!すてき!」と歩んだ先には、ナチスが待ち構えていた。そして残酷な処刑が・・・。この映画と同じようにスイスの国境越えに向かったクララも、一歩間違えば、そうなっていた。いや、というより、あのような状況でクララが助かったのは、幸運だったろう。


バックハウスは、ナチスの宣伝に利用されていたため、戦後、ナチス協力者という烙印を押された。だが、ヒトラーやナチスが彼を勝手に好きになったのであって、音楽家の彼に政治的責任を負わすのは、フェアとは言えまい。戦後彼は厳しく責任を問われ、一時社会から追放されたが、数年後無罪が認められた。少なくとも他民族蔑視扇動・ホロコーストには加担はしていなかったので、妥当な判断だろう。 クララが生き延びてくれて本当に良かった。 クララとバックハウス、この両巨頭が、スイスで仲良く歩いている写真は、音楽だけではなく、平和の尊さ、異民族蔑視扇動の悪質さ、人格攻撃・ネガディブキャンペーンの恐ろしさ、人類史上最悪の大虐殺という悲劇を乗り越え、その旧敵国人・旧敵対民族が、にこやかに並んで歩く友情の美しさ、人類愛、そういうところまで考えさせられる。 彼らの音楽は、何不自由なく育ってきた現代の奏者らとは、やはり厚みが違う。一音一音に、深い響きがある。だから聞く者の心を震わせる。 


今日は、終戦の日を前に、少し戦争と平和について考えてみた。ワンコの話を期待して読んでくださった方には申し訳ない。


顔が見えないネットの特徴だと思うが、ナチスの主張とあまり変わらないおぞましい書き込みが、やたら目に付く。他民族への偏見と偏狭な民族主義。そしてあえて名前は言わないが、一個人への徹底した政治的人格攻撃とそれに乗せられる世論。この民主主義の中、操り人形ではなく事実上日本初の市民運動家出身のリベラル派宰相登場に、「国賊左翼政権だ」とネットを中心にいっせいに罵声が沸き起こり、さらには「どんな手を使ってでも必ず失脚させてやるよ」と公言する大手新聞社まで現れる始末だった。公平であるべき大手新聞社ですらこうなのだから、政敵や旧体制側等との合体ネガディブキャンペーンは、苛烈を極めた。一個人などひとたまりもない。誰もが言うから誰もが真に受け、偏見を膨らませていく。私は、これほど日本中が一個人を人格攻撃する現象を初めて見た。まるで巧妙な扇動により意味もなく隣人を蔑んだ戦前のドイツ人のようだった。 ・・・ 国民の頭が、それと同盟を結んでいた頃の水準に戻らないよう願うばかりだ。それにしても最悪の前例を作ったものだ。 ・・・ ふ、と溜息を漏らす。クララの写真を見ながら。

この可愛い美少女が、後に伝説的大ピアニストに
w34r (7)

w34r (2)

一歩間違えばアンネと同じ運命だった・・・
w34r+(4)_convert_20110812065630.jpg

w34r+(3)_convert_20110812070903.jpg

苛烈なユダヤ人狩りを逃れた
w34r.jpg

w34r (1)

w34r (5)
(写真はいずれもグーグルの画像検索で表示されている物)
w34r+(8)_convert_20110812065842.jpg
素晴らしい名盤!特に24番が最高

バックハウスとベームのベートーベンピアノ協奏曲第4番 その1

その2
http://youtu.be/coXk1FsBVYc
その3
http://youtu.be/AceX_ilPDfs
その4
http://youtu.be/Lmv4w5EqwH4


ベートーヴェン ピアノソナタ第32番ハ短調作品111 クララハスキル独特の愁いを帯びた演奏



こちらはバックハウスの演奏 正反対の快活な出だし 違いが面白い


 




コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://doberman05.blog100.fc2.com/tb.php/75-5e4b1427
    この記事へのトラックバック