第216話 母の介護をすることに

2016年05月26日 12:53

母の介護をすることになった。不安でいっぱいだ。実の子供+最愛の妻のような存在だったドーベルマン2頭を、10数年前と数年前に介護のうえ看取り、悲しみに暮れた。その時の強烈なトラウマが頭をよぎる。また、色々な面で、難しさはおそらく数倍、数十倍だろう。何といっても人だ。動物の介護とはわけが違う。人間の尊厳を保たなければならない。男の私が、母のシモの世話などどうすればいいのだろう。今はまだ大丈夫だが途方に暮れてしまう。季節外れのこの異常な猛暑で母はダウン。食事も取れなくなり体重が激減。余命幾ばくも無いステージ4の肺がん患者が、空気が良くて涼しいとはいえ、こんな状態で標高1500mの山荘に来ていいのだろうか。しかし元妻がいた頃この別荘で私達と一緒に過ごした思い出が、母にとって最良の思い出の一つなようだ。山荘は今の母にとって危険がいっぱいだし元妻もいないが、もう一度あの別荘で過ごしたいという思いを、かなえてあげたい。


といっても無計画に無謀な行動に突っ走っても悲劇を招くだけだ。基本的に公的支援は事前承認が大前提。後から泣こうがわめこうが一切相手にしてくれない。前にも書いた、申請が遅れ父が高額医療費で全財産を失った件、もある。おそらく経験豊富な介助のプロを公的支援で派遣してもらうのと、素人の自分だけであるいは個人で求人して家政婦さんなどを雇うとかでは、介護の質や家族の負担に大きな違いが出るだろう。なんとかしなければ。事前申請の出来不出来で天地の差か。保険料は差し押さえをしてまでも厳しく徴収するのに、支払いはできるだけスルーしたい、行政も基本的に民間営利会社と同じである。敵が(失礼、相手が)言い逃れできないほど事前にルールに則って厳格に申請してこそ初めて彼らと交渉ができるのだ。しかし、母は一日も早く山に行きたがっている。交渉の末めでたく認可を得たとしても、長野県の別荘だから母が住む愛知県名古屋市との話し合いがさらに必要になる。うーん時間が無い。とりあえず全て自己負担で始めるべきか。もう、貧乏でお金が無いのに。正に敵の思う壺だね。


昨日母と会い、そのやせ細った姿を見て、悲しかった。人は生まれ育ち、やがて死ぬ。それは分かってはいるが、残酷だなと思わずにはいられなかった。くっきり天然二重で、はつらつとした美人だった母。キレイ好きで年をくってもオシャレだった。そんな母の「QOL」と尊厳。それを保つ為に私とドーベルマン・チュー太郎と母の3人で山行きを決意した。一歩外へ出れば、もう耳はほとんど聞こえないので危険がいっぱいだ。家の中では、幸い脳はまだ無事なので筆談ができる。ノートを買って筆談しよう。きっと貴重な記録になるはずだ。ああ聞こえないなら私が弾くピアノが、幸か不幸か邪魔にならないね。練習やり放題だ。でも、どんな名演奏をしても聞いてもらえないから悲しいか。チュー太郎はハグを求めて物凄い勢いで抱きついてくる。これもなんとかしなければ。等々不安いっぱいの今日この頃。

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チューちゃん、おりこうしてね。「任せとき!という顔」

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でも結局ゲージ行きかな

 






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