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第209話 会者定離

2016年02月14日 01:04

お別れを、少し哲学的に考えてみる。「お別れだね会者定離さ」。「さようなら会者定離ね」。「生者必滅会者定離」。この言葉、冷たく感じないだろうか。私はとても冷たく感じる。生命や人生は、そんなちっぽけな存在なのか。宇宙が作った神聖なる生存本能DNAの指示とはある意味真逆な思想にも思える。だが死の淵に立った人にとってはどうなのだろう。死の恐怖を和らげ、むしろ温かい言葉と感じるのかもしれない。今日テレビの番宣で数秒見ただけだが、数千人を看取ってきたというある町医者がつぶやいた。(苦しみから解放されやっと)安らかな とわの眠りつこうとしていたのに、家族が救急車を呼びERへ。そこでは電気ショックやら喉や体を切るなどの激しい救命処置が。結果、死の苦しみがさらに数ヵ月続くことに・・・。


安倍首相のブレーンで有識者として首相直属の教育再生実行会議の公職も務めた作家の曽野綾子氏(86歳)の最近2016年2月1日発売の「週刊ポスト」上の提言は、要するに「金がかかるから国家の役に立たない老人は早く死んでね」という事だと思うが、つまり「長生きが許される高齢者は自分達のようなエリートだけにすべき」というのが彼らの理想のようだ。もちろんこういう口にするのもおぞましい非知性的でナチス的な考えには賛同しないが、一秒でも長く生きたいという神聖なる生存本能DNAの指示と矛盾する、死の恐怖と計り知れない苦痛を長引かせてまで延命させることへの疑問は、極端な例だが結局のところこの「早く死んでね」という論法と部分的にではあっても同類になってしまうという現実がある。


そこで「生者必滅会者定離」をもう一度考察してみる。諸行無常すなわち宇宙、と考えたらどうだろうか。DNAもしょせんは粒子の集合体にすぎない。粒子は宇宙内では増えたり減ったりはせずその形状の変化で人間と空気を分けている。そこは、諸法無我なのだ。これでDNAの神聖性を哲学的に否定できる。そして、苦しみからやっと解放され、安らかにとわの眠りつこうとしているとき、それは尊い涅槃寂静のすがたといえまいか。ならばあらゆるとらわれから解放され絶対自由を得られようとしているそのとき、それを他ならぬ家族が愛の名のもと奪ってしまうのなら、これはかなり悲劇的な事態となるかもしれない。


回復の見込み無し、余命あと数日で、生命維持装置に繋がれた状態で一瞬正気に戻ったとき、病室の天井を見ながら何を考えるのだろう。再び死の恐怖と苦痛に立ち向かわなくてはならない事にうんざりするのか、あるいは自由は無いがただただ一日寿命が延びた事を喜ぶのか。いずれにせよそこからまた悟りの境地は遠かろう・・・。「生者必滅」そして「会者定離」。別れは来る。必ず来る。愛するものとの別れ。この世との別れ。その時そうつぶやいてみれば、それは厳然たる事実なのだから、たとえわずかでも、きっと心を和らげる言葉になろう。私はそう思う。


昔大変お世話になった方が余命あとわずかだそうな。70代後半の女性。言葉が出ない。代わりにこの曲を捧げたい。追記:永眠されたとのこと。心からご冥福をお祈りします

前に紹介した曲。ちょうどこんなようなことを考えていた時に作った曲

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この文章を書いている時のチュー太郎。温かい。思わずキスしたくなる可愛さ。長生きしてね、チュ。

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座布団の上でくつろぐチュー太郎。外の草の上よりこちら方が好きらしい

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外で楽しめるよう試しにジャンプ障害物を置いてみた。

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今のところ全然興味が無い模様


  


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