第195話 道に迷う

2015年07月14日 16:38

「人は努めている間は迷うものだ(ゲーテ)」
べつに努めているわけではないが、最近私はよく道に迷う。彼によれば、私のようなチャランポランでいいかげんな怠け者は、道に迷うはずなど無いのだが。哲学者ソクラテスが言う「無知の知」でも自覚してしまったのだろうか。

■(世界大百科事典内の、無知の知の言及)
「(神秘主義より)…いっさいの形容と規定を否定することこそ神への道である。神を知る知は,〈無知の知〉でなければならない。このいわゆる〈否定道via negativa〉または〈否定神学apophatikē theologia〉は以後ながく神秘神学の方法を規定した。」
「(ソクラテスより)…こうした自覚への機縁となったのは,〈ソクラテス以上の知者はいない〉というデルフォイの神託であった。彼はその意味を解明するために,世に知者と呼ばれている人たちを吟味して歩いた結果,彼らの方は〈何も知らないのに知っていると思い込んでいる〉のに対して,彼のみがみずからの無知を自覚している,すなわち〈無知の知〉という一点において相違していることに気づいた。そしてさらに,神託の真意はソクラテスに名を借りてすべての人間の無知を悟らせることにあると考えるに至った。」


つまり、「神様じゃあるまいし、ちょいと知ってるぐらいで知ったかぶりは止めなはれ」ということか。さすがソクラテス。でもそれを権力者らに聞かれたために怒りを買い、神を冒涜した嫌疑で裁判にかけられ死刑にされてしまう。これは、自分が正しいと思ったことでも、うかつな事は出来ないという教訓なのか。今、大きな岐路に立たされているとして、こうすべきか、ああすべきか、当然今現在のことだけでなく、将来を考えなくてはならないだろう。今現在を優先するなら答えは比較的簡単に出せる、長いものに巻かれろ的にいけば、何も考えなくてもいいから楽だし目先軽薄に利益になる等々。しかし長期的視野に立って考え行動した場合も、将来の利益というギャンブルのために今ある現実の利益を棒に振るという面もある。「その日その日が一年中の最善の日である。(エマーソン)」というではないか。


前置きが長くなったが、今回どっちにしようか迷っているのはこれ。ソファからチュー太郎を追い出し私が座るべきか、座布団をひき私が床に座るべきか、だ。あらゆる面から詳細に検討し一時間迷った末出した結論は、「可愛い寝顔がよく見えるから私が床に座る」だ。ごろごろ寝返りうてるから案外その方が楽だし。ただ床からソファを見上げると、チュー太郎に上から目線で偉そうに見下されるのがちと気がかりだ。なんだか態度がでかくなったような気がする。まあ、やっこさんは調教のされ過ぎで少々小さくなっていたからこれで調度良いか。でも長期的に考えたら心配な面も。年を食ってヨレヨレになったらチュー太郎の場合、上れないかも知れない。それは惨め過ぎる。実は先代が別の理由でそうで本当に可哀想だった。ドーベルの加齢は早いからそんな時期はあっという間にくる。どうする? でも、ここはやはりエマーソンに従おう。もしそんな時が来れば、俺が上げてやれば済むことさ・・・

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問題のソファ

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すっかりお気に入りの様子

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道に迷った私

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怖いので先遣隊に行かせる

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危険!引き返すべき!とチュー太郎



 
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