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第222話 母永眠

2016年09月03日 13:42

今はとにかく寂しい。葬儀も何もかも片付けて、昨夜やっと眠れた。昨夜行事終了後、母の家に集まった。母のもの全てがいとしい。嫁さんたちや孫たちはワイワイガヤガヤ賑やかだったが、私と兄は、私達が来るといそいそとよく食事を作ってくれた母の台所で、思わず涙に暮れてしまった。それまでは病院で亡くなってから葬儀終了までの数日間忙殺され泣く暇もなかった。我が家の中心人物だった上の兄すなわち長男が数年前にすでに他界していたので、次男と三男の私には一族親戚関係のノウハウが無く、病床の父の指示で辛うじてこなした感じだ。今どきは固定電話に出る人が少なく、留守電が無ければお手上げで連絡は困難を極めた。しかし母の人徳だろうか、連絡が取れなかった人も来てくださった。葬儀費用は、安さが売りの「ティア」だったが、総額160万円。兄の時は確か80万円程と記憶しているが今回は随分高いなと感じた。差額ベット代で膨張した病院代と合わせ、遺族には重い負担と言わざるを得ない。欧米先進国では考えられないような高額負担だという話を何かで聞いた事がある。

大きな冷蔵庫に母の使いかけの食材がたくさんあった。もちろん腐っている物は捨てたが、賞味期限が少々過ぎた加工品などは全然大丈夫。捨てるなど罰当たりというべきだ。私は母のものを、何ひとつゴミとして捨てたくなかった。二世帯住宅で同居している弟夫婦に、「使って」と言うと「いらないから兄貴が全部持って行ってくれ」という。とても多いので「母のものを捨てたくないので少しは貰ってくれないかな?」と涙をこらえて聞くと「ああすみませんうち、いりませんから」とピシャリ。結果大荷物を抱えて家に帰る事になった。山に居る時期なので自宅の冷蔵庫は空いていた。夜遅くまでかかったが、何とか全部詰め込む事ができた。冷凍してある母手作りのカレー。これが最後の母手作りのカレーか。母の料理が懐かしい。山で作ってくれた茶碗蒸しは絶品だったな。手作り餃子も。そして・・・思い出すときりがない。

毎日見舞いに行っていたが、ある日担当医から、もう転院しなくてもいいですよ、と言われた。「ここは治療の為の病院だから緩和ケア病院へ転院してください」と事務方から毎日毎日、追い出されそうな勢いで迫られていた。だから「今一生懸命転院先を探しているので、どうかもう少しだけ待ってください」と土下座させられるような気持で事務員様に懇願していた。それが突然こうなのだから、その意味するところは明確だ。翌日早朝病院から危篤の連絡がきた。駆けつけると虫の息だった。弟は遠方に単身赴任している。どんなに急いでも午後3時。可愛がっていた末っ子。さぞ会いたいだろう。「もうすぐ来るよ」と励まし続けた。弟が到着すると母はとても喜んだ。母が息を引き取ったのは翌日の朝。危篤状態が24時間以上続いた。

モルヒネの使い方が、緩和ケア病院とは違うようだ。苦しんでいるのに使おうとしない。私がしつこく「これは苦しんでいるのではないの?」と聞いても「皆最後はこうですよ苦しんでいるわけではありません」という。同じがんで亡くなった方を数人知っているが、いずれも緩和ケア病院で話に共通性があり、総じて穏やかだったという。私が「フーフーハーハー」と唸る母を指し「どこからどう見ても苦しんでいるように見えるのですが」というと、積極的の反対の消極的に、では、という感じで始めた。しつこく言わなければ、あのままだったのだろうか。使い始めると痛みが和らいだように見えた。だから私は、唸りだすたびにモルヒネを求めた。計3回、最後は深夜3時頃だったか。そのおかげだろうか、母は翌朝まで持ちこたえた。瞳孔が開いたりしたが最後のころ、手を握り顔をさする私を見、声にならない声で私の名を呼んだ。「そうだよ」と私は答えた。

最後は穏やかに私達息子三人に看取られた。単身者の私の最後はおそらく野垂れ死にだろう。私には、羨ましいほどの最後だった。

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チューちゃん、母さん死んじゃったよ・・・







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