FC2ブログ

第154話 古い技術が新しい技術に大勝利?

2013年10月30日 19:10

技術は日進月歩という。実際私の持ち物でいえば、今最も進化が激しいスマホなどは、2年前の物など最新機種に比べればガラクタ同然。比べ物にならない。一般家電製品でも、例えばこのブログで紹介して褒めたテレビやデジタル一眼カメラも、最新機種と比べると相当落ちる。最近テレビを購入したが、2年前の物よりはるかに高画質で正直驚いた。購入したのはソニーや東芝に比べ評判の悪いパナ製の安物だったにもかかわらずだ。これでは今各社が開発にしのぎを削っている4K等新規格テレビや次世代有機ELテレビなどは、2年後にはいったいどうなっている事やら。ワクワクする半面、我々消費者にはキリがないなという複雑な気持ちになる。でもまあ、もしあなたがお金持ちで買い替え自由なお立場なら、毎年は面倒にしても、2年ごとぐらいに、どんどん新製品に買いかえる事をお勧めする。国の経済成長にもプラスになるしね。


メーカーの宣伝部長じみた話になったので今度は逆の話。激しい進歩というが、それはあくまでデジタル部門の話であって、当然職人が手作りするような分野には当てはまらない。昔の職人さんの方がずっといい仕事している場合があるように、今どきの家電製品でも、職人の手が入るような物は違う。ここでいう職人とは、必ずしも工場従業員など生産現場だけの話ではない。構想や設計の方も含まれる。実は今でも製品にはアナログ的な部分が、けっこう混在する。例えば私が昨年購入したデジタル一眼レフカメラ。同時発売の専用ズームレンズで撮ると、高価なレンズにもかかわらず美しさがどうもよろしくない。これでは安物カメラと大差ないなと思った。ところが20年前の古い単焦点レンズに付け代えて撮ってみると、操作性は最悪だが、美しさでは圧倒する。結果最新レンズはお蔵入り。ほとんどこの旧式レンズを使うようになった。デジタルとは直接関係の無いレンズその物の技術は、昔と大差ないようだ。


優れた古い技術の例をもうひとつ。高級オーディオの世界。電気と磁石の力で音を出すスピーカーはモロにアナログ製品だからこの際除外して、最近私が最も感心したのは、登場して半世紀も経つLPハイファイステレオレコードの音の良さだ。特に素晴らしいのは、ダイレクトカッティング物や職人の腕が音を左右した時代の録音。CDなどデジタルモノとは比べ物にならないほど生々しい音を出してくれる。音波を生のまま閉じ込める技術なのだから当然なのだが、それにしてもレベルが全く違う。レコードの音の美しさは、久しぶりに聴くと本当に素晴らしい。しかしそれを味わうためには、相当高価な機械と深いセッティング知識が必要だ。またLPレコードは消耗品。高音質な物になるほど寿命は短く、数回聴いただけで音がつぶれてくる物もある。針を新品に代えても、パックするなどして仮に汚れを完全に取ったとしても、溝が減っていれば元には戻れない。



そこで今話題のデジタル新技術を使ってみた。LPレコードのハイレゾ化だ。やってみてびっくり。たった10分で1GBも必要だった。波形を見るとそれでもデータがびっしり詰まっている。70分で0.6GB程度の情報量しかない音楽CDとはえらい違いだ。ハイレゾ化は、例えば何百分も必要なオペラだとデータ量は膨大になってしまうが、幸い今は3TB(3000GB)の大容量HDDでも1万円そこそこで買える時代になった。だからコスト的には問題ない。容量も、3TBもあれば、どれだけLPレコードを詰め込んでも、余裕で受け入れてくれる。そして詰め込んでしまえば、ジュークボックスのように、端末の簡単な操作でいつでも自由に選んで聴ける。レコードをかける時のワクワク感は無くなるが、その便利さは圧倒的だ。もちろん万が一に備えコピーも取っておく。消耗品のレコードが、これで永遠の宝になるわけだ。


素晴らしい新技術。しかし肝心の音はどうか。勿論CDとは比べ物にならない。はるかに良い。では元の生LPとの比較は。これは一長一短だと思う。ダビング時当然無音、電気的ノイズ等ゼロの最良の環境でやるのでその点は圧倒的に有利。そのおかげか100%聞き分けられる。低音の歯切れの良さなどが素晴らしい。しかしやはり弦楽器の生々しさなどはLPの方がずっと上回ると感じる。最新デジタルも、その点はまだまだこの旧式の技術にかなわないようだ。



ちなみに、主だったCDコレクションも一緒にこのHDDに入れておいた。光学レンズで物理的に粗末な円盤を回転させてデジタルデータを取り、その場でアナログデータに変換して音楽を聞かせるという、かなり荒っぽいやり方の音楽CDというシステムが、これで相当改善されるようだ。おかげで数十万円の高価なCDプレイヤーで聴くより、数百円のUSBメモリーにデータを入れて聴いた方が良い音がするという珍現象が発生した。当然かもしれない。データを慌てて変換する必要が無く、予めパーフェクトな形に整えておけるのだから。それはHDDにでも同じ。それらを再生するプレイヤーはいろいろあるが、私が購入したのはパイオニアのN-50という機種。3万円台で購入した。2年前の機種で少々古く、USBメモリーで再生すると同じデータでもHDDに入れた物より何故か音がかなり悪い。対応できない規格も多い。自宅にはソニーの新しいAVアンプがあるが、さすがに新製品、こちらではそういう事は無かった。CDをBDレコーダ等で再生するより、データをUSBメモリーに入れてこのAVアンプで直接再生する方がはるかにいい音がする。あらゆる面でダイレクトになるからだろう。


今年の山荘は、この新しいシステムのおかげで、音楽をとても楽しめた。デジタル再生機をこのN-50ではなく、最新の高級機にすればよかったと少々後悔したが、その場合コストが一ケタ高くなるのだからまあ仕方がない。  昔は音楽を聴くのにずいぶん苦労したが今は天国だ。適度なスピーカーさえあれば、昔では想像もできなかった素晴らしい音楽ライフを安価に楽しめる。日本製オーディオ製品が世界に認められ始めた70年80年代に大活躍したオーディオ評論家の先生たちが今も生きていたら、どんな顔をしたことだろうか。当時では想像もできなかった世界が今広がっている。


20131010_153502_convert_20131030184737.jpg
リビングに鳴り響く音楽。チュー太郎は、オーディオの音、例えばバイオリンの曲を、どれほど大音量で鳴らしても全く平気で無反応だ。なのに、私が生バイオリンを弾くと激しく反応する。狼の遠吠えのように一緒に歌いだすのだ。耳がいい犬にとって、生の音と機械の音は全く別物のようだ。 ・・・ いや、案外、「へたくそ!」と私に怒っているのかなこのワンコ

20130810_164134_convert_20131030185011.jpg
数十万円のプレイヤーたちをお蔵入りにした安物デジタル再生機N-50

20131022_220347_convert_20131030185105.jpg
膨大なコレクションのデータ化は大変な作業だった

20131027_145930_convert_20131030184525.jpg
いよいよ下山。スキーとかはしなくなったので、来年の夏まで山とお別れ


 

第153話 駐車場で脱走

2013年10月28日 01:04

騒ぎ過ぎじゃない?と思う出来事が今日あった。山から30分ほど降りたところにある湖で散歩することが時々あるが、帰りに再び山へ登るのは大変なので今日はサボって車で湖まで降りた。車を止めたのは、何時もは閑古鳥が鳴いているこの湖の観光客用駐車場。久しぶりの青天の麗しい休日のせいか今日は客が多かった。その大勢の目がある中で、なんとチュー太郎が車から脱走。慣れないシュチュエイションに興奮したのか、リアハッチを開けた瞬間飛び出した。車の中ではリードを付けていないことがよくある。だからこの時も、ノーリードで飛び出したわけだが、大きなドーベルマンがノーリードで車から飛び出したのだから、観光客たちはさぞかし驚いた事だろう。


まるで他人事のような言い草だが、実際その時の私は、観光客のことなど眼中に無かった。チュー太郎が観光客を襲うシュチュエイションなど考えられず、そんなことよりも車に轢かれることを恐れた。可能性でいえばそちらの方が一万倍ぐらい高い。チュー太郎は車を追おうとする。この時も全く気が付いていない車の進行方向へ出ようとしていた。私はブチ切れた。大声で「止まれ!」と命じ、怒声調で「こい!」と叫んだ。私の調教理論では、これはかなりまずいやり方だ。一時的にしゃきっと従ったとしても、そんなものは何の意味もない。その後遺症は必ず出る。犬への指示は常に冷静沈着に。それが最良であることは経験上分かっている。しかし去年の夏の悲劇が鮮明に記憶にある私は冷静さを失った。


チュー太郎は指示に従いすぐに戻ってきた。言い訳ができない脱走は脱走だが、脱走から私に捕まるまでせいぜい30秒ぐらいか。いやたった10秒ぐらいのことだったかもしれない。だが駐車場は騒然とした雰囲気になった。私の怒声で注目がいっせいに集まり、気が付いたら大勢の冷たい視線を受けていた。これが何かドッグランみたいな場所での出来事なら、ここまでの雰囲気にはならなかったろう。だがここは違う。ありありと「こんな場所で危険な大型犬を離すなんて!」という冷たい視線だった。中には私に文句を言おうとする粋がったアンチャンまでいた。ブチ切れ状態の私に危険を感じたのか、幸い目をそらして引き返してくれたが。


やれやれである。ちなみにそのあとは、湖畔で店を営む犬好きの友人に会いに行き、チュー太郎は彼の両肩に手を置いて抱き付くなど散々甘え、満足げに紅葉の中を歩いて車まで戻った。家に到着すると「マテ」の指示をしっかりきき、「ヨシ」と言われるまで車から降りようとしなかった。まったく、駐車場でもこの調子なら、世間から白い目で見られることも、車に轢かれる心配をすることもなかったのに・・・とパパが少々不機嫌だったことに、湖へ行けてご機嫌のチュー太郎は気付いていなかった。


20131021_080223_5_convert_20131028004815.jpg
大きなドーベルマンは、一般市民にはやはり怖いか

20131021_080210_1_convert_20131028005117.jpg
こんなに可愛い表情なのに

20131022_153346_convert_20131028004326.jpg
表情豊かなチュー太郎

20131024_164212_convert_20131028004236.jpg
長く続いた悪天候。ずっと太陽が見えなかった

20131026_145057_convert_20131028004119.jpg
山荘周辺はすっかり冬景色

20131027_080649_convert_20131028003902.jpg
今朝は寒かった。車が凍り付いていた。

20131027_153843_convert_20131028003543.jpg
久しぶりの太陽を目一杯浴びる

20131027_154116_convert_20131028003325.jpg
湖畔はまだ紅葉が残っていた

20131027_153116_convert_20131028003721.jpg
湖畔を散歩できて満足げなチュー太郎

小雨の中の冷静沈着な散歩訓練。「スロー」とささやくような指示にも敏感に反応



 

第152話 2才の誕生日に暖炉?

2013年10月20日 18:05

そういえばチュー太郎は2才になった。虚弱な捨て犬で1才の誕生日までに大きな手術を繰り返し、何度も死にかけた子だったから1才の誕生日には特別な感慨があったが、今回はもうすっかり忘れていた。それだけ、良い意味で何事も無かったということだろう。メデタイ話である。今や空気のような存在のチュー太郎。傍に居るのが当たり前になって、家族というより、もはや体の一部? いやそうじゃなく、何と言ったらいいのだろう、必要不可欠なパートナーといったところだろうか。単身者の私にとって、それほど大きな存在になってきてしまっている。もちろん、それはチュー太郎も同じだろう。うちは一対一だから文字通りチュー太郎にとっては私が全てであり、生きるすべも私しかない。そのせいだろうか、いつも熱い視線を感じている。「パパ愛してるよ~」と。


そんな可愛いチュー太郎だが、10年もすれば居なくなってしまうという現実がある。先代先々代のドーベルとの最後の別れの経験がトラウマになってしまっている私には、それを思うとチュー太郎の誕生日をあまり祝う気にはなれない。ついつい「ああ残りはあと何年ぐらいか」などと馬鹿な事を考えてしまう。そこが宗教的素養のない人間の限界だろうか。やはり誕生日は祝うべきか。チュー太郎にとってこれは非常にめでたい日だ。幸せに暮らし、無事に歳を重ねた証なのだから。よし、何かチュー太郎に誕生日プレゼントをしてやろう。何がいいかな。お腹を壊されたら困るので、普段と違う食べ物は出したくないし。それじゃあ何? そうだ、あれがある。


というわけでプレゼントしたのが、この暖炉。温かくてご満悦の様子。今までは、ヤンチャ坊やの大やけどの事故を心配して、暖炉にはあまり近寄らせなかったが、もうだいぶお利口になってきたので解禁した。今日は大雨。庭でトイレを済ませ、びしょ濡れになって帰ってきたらもう暖炉にべったり。自分で乾かしている。賢い。ふつう動物は火を怖がるというが、チュー太郎は、それどころか、火をじっと見つめている。ドイツ生まれのドーベルマンは暖炉好きがDNAに刻まれているのだろうか。もう暖炉から離れようとしない。危険過ぎるので、ちょいと引き離して私と2人で暖炉を囲みながらテレビ酒。今日はハッピーバースデーという事で、一丁ゴウジャスに行きますかチュー太郎!

20131018_002125_11_convert_20131020174417.jpg
暖炉をもらって嬉しそうなチュー太郎

20131019_152228_convert_20131020174250.jpg
うちのドーベルは3代続けて暖炉好き。ドーベルのDNAか

20131020_162413_convert_20131020174043.jpg
でもこれは危険過ぎ。目を離すと雨に濡れた体を自分で乾かしている

20131019_162416_convert_20131020174123.jpg
雲を見下ろすチュー太郎

20131019_161731_convert_20131020174207.jpg
下山中に道草

20131011_121623_convert_20131020174813.jpg
悪天候ばかり。こういう晴天が恋しい

20131011_122047_1_convert_20131020174625.jpg
太陽はどこへ

散歩訓練。もう道は落ち葉だらけ。落ち葉を踏む感触が嫌いで少し駄々をこねている


 

第151話 馬鹿げたドーベルマン判決 

2013年10月14日 19:59

ある夫婦に可愛い6歳の娘がいた。その娘は家族の一員である飼い犬をとても可愛がっていた・・・(おそらく)自分より大きな図体をしているのに、自分一人で一緒に散歩へ出ようとしたぐらいだから、よほど絆が深かったのだろう。小さな女の子の心をつかんだやさしいその犬は、ある意味名犬と言えまいか。だがその名犬に悲劇が起きる。多分その6歳の娘を守ろうとする本能から来た行為だろう、たまたま鉢合わせた犬嫌い?の隣人を傷つけてしまった。夫婦は隣人に深くお詫びし、償い金30万円ほどを支払うことで被害者と無事和解した。事件のあらましはこのようだ。これで事件は解決したはずなのに、ある3つの要素が、この単純な事件を、日本中でニュースが流れるような大きな事件にしてしまった。

そのひとつは、夫婦が高級マンションに暮らす有名な俳優であったこと。興味本位な世間から妬まれ何かと攻撃されやすい対象だ。

二つ目は、その犬が、日本ではとかく偏見をもたれるドーベルマンだったということ。飼い主がそういうセレブなら、格好の攻撃材料となる。ちなみに私の経験では、ドーベルマンよりも、気性の激しい柴犬等の方がよほど危険だと思う。

三つ目は、そんな要素があるからだろう、この事件とは直接関係もないのに、金もうけの絶好のチャンスと思ったのか、この物件の不動産管理会社が、5220万円もの大金を夫婦に要求してきたことだ。この要求から想像するに、この会社の物件は、出来上がってから永久に空室は出ず、客(借主)は全員必ず羊かこの会社の奴隷のようにおとなしいということか。やくざ会社じゃあるまいし、いけしゃあしゃあとよくこんな要求ができるなと、正直私はこの不動産会社に呆れ果てた。


夫婦の言い分は、「不動産会社の許可をもらっていた。その分余計に金も払っていた」というもの。おそらく事実だろう。6歳児が連れ出すほどだから、ドーベルマンを隠そうとしていなかった事は明らかだ。そもそも隠しきれるものでもない。何だかの合意もしくは黙認があったと考えるのが自然だ。にもかかわらずドーベルマンを飼っていたから5000万円よこせというのは、あまりに荒唐無稽ではないか。だが驚いた事に、高裁の判決は何と2千万円近い賠償金を命じるもの。もし夫婦がごくありふれた一般市民で、犬も柴犬なら、果たしてこんな判決が出ただろうか。


「ひと噛み2千万円」。しかも賠償先は噛まれた被害者ではなく第三者の不動産屋。こんな馬鹿げた判決が定着したら、この国では犬の生存権など無いも等しいことになる。そこまでして不動産屋の利益を手厚く保護する必要性などあるはずがない。犬嫌いの人は別かもしれないが一般市民の感覚からは相当かけ離れた判決と言わざるを得ない。あるいは被告がセレブのスターだから出た特別の判決というのなら、まともな法治国家とは到底言えなくなる。この判決は、田舎の裁判所の、無名の判事が出した判決ではない。高裁の判決だ。社会に及ぼす影響は計り知れない。一個人が雇った弁護士と、百戦錬磨の不動産屋が使っている弁護士とでは、よほどの力量の差があったのだろうか。世間の色眼鏡も影響したのかもしれない。最高裁でこの判決が破棄されることを願ってやまない。


20130927_161048_convert_20131014191128.jpg
欧米先進国では外では一生繋ぐなんて動物虐待。でも逆に日本ではこうして一瞬でも自由にすると犯罪になりかねない。

20131007_124132_4_convert_20131014192845.jpg
運動が大好きなチュー太郎

20131011_121950_convert_20131014192127.jpg
あいきょうのある可愛い顔

20131011_162959_5_convert_20131014192031.jpg
しかしドーベルマンは有害な猛獣という偏見を持っている人が少なからずいる模様

20131011_163008_5_convert_20131014192438.jpg
「へ?猛獣って僕のこと?」という顔

20131013_142720_convert_20131014191855.jpg
スヤスヤお昼寝するチュー太郎。可愛い。全てが可愛い。 ・・・ 愛してるよ


 

第150話 登山者を引っ張る名犬君

2013年10月03日 22:55

山を散歩するとき、上り坂はデブの私には大変こたえる。心臓麻痺を起こしてしまうのではないかと思えるほどつらいときもある。そんなとき役に立つのが我が愛犬チュー太郎。「チューちゃん頼んだぞ!」の合図のもと、100kgを超える私の体重をものともせず、ガッツリ引っ張ってくれる。今日アップした動画はその様子。ぐいぐい前に引っ張られ、本当に楽で最高だ。これは登山としては邪道で、登山者として最低な行為なのだろうが、まあ犬には引っ張りたい本能があるようで、けっこう喜んで引っ張ってくれている。大型犬は実用的というか、こういうところが本当に小型犬と違う醍醐味で、特にドーベルマンのような犬種は、夜、山の中でたった一軒しか明かりがついていないような状況での、その圧倒的な安心感と実際の防犯力、散歩中の熊よけ能力など、大昔から人間のパートナーだった理由がとてもよく分かるし山に居るとそれを本当に実感する。

重くてつらそう ・・・ ごめんねチューちゃん!

そんな私だから、基本的に私は、犬が飼い主を引っ張ることにそれほどこだわらない。無理やり本能を抑え込もうとすれば、反発性が発生するのは当然で、犬の調教師は、そこを理解する必要があるだろう。ちなみに馬の調教では、犬ほどの反発性は発生しないが、発生すれば体重は十倍以上だからその危険性は大げさに言えば犬の数十倍といえる。跨っていれば制御は比較的簡単だが、犬の散歩のようにいわゆるリードをもっての引き馬の場合、悪い奴は飼い主に尻を向け、すさまじい勢いで、蹄鉄を付けた後ろ足で蹴ってくる。自然界のシマウマの場合、当たればこれでライオンをも倒せるという勢いだ。乗馬馬でも、鉄を履いているから、当たればそれに匹敵する威力があろう。私を蹴ろうとした脚が外れ、ぶつかった壁のコンクリートが割れ、それをみて腰が抜けるほどビビった経験がある。


そんな経験をしてきたためだろうか、500kgを超える暴れ馬たちに比べ、30kgそこそこの犬のひっぱりなど、「ヘノカッパ」という意識が私のどこかにある。引っ張られるのが嫌なら、ただ横を向ければいいだけじゃん?と思ってしまうが、どうだろう? あるいは犬の前に立ちふさがるとか。 もちろん、暴れ馬の前でそんなことをやったら絶対にいけません。車にひかれるように踏みつぶされるか、怒り狂った馬に蹴られるか、いずれにしても飼い主の命は風前のともしびであります。ではどうすれば安全に抑えられるか。頭を使って作戦を練るのです。ひとつはっきり言える事は、馬を怒鳴っても火に油を注ぐだけということ。おそらく犬もそこは同じでしょう。

20130924_145829_convert_20131003224225.jpg
「パパ重いから引っ張らせないでよ」という顔