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第60話 まるで恋愛小説?

2011年07月29日 00:28

彼女の自宅近くの店で、2人で飲んでいたある時、突然彼女が、私の目を見ながらこう言い放った。「私、歳が17歳上でも、頭が禿げてても、太っていても、全然OKよ。そんなこと気にしない」 ・・・ 「へ?」 戸惑いながら私はこう答えた。「あはは、うれしいね。○○ちゃん最高。」 事実彼女は、そういう外見的な事には拘らない立派な女性だった。本場欧州でも認められたヴァイオリニストで、自分自身に自信を持つひとだからこそ言えたセリフだろう。これは聞きようによっては、逆プロポーズにも聞こえるのだが、その瞬間いくら盛り上がっていたとはいえ、彼女の自宅(実家)の目の前で、酔っぱらっている彼女に○○したり、ホテルへ連れ込んだりするわけにも行かず、そのまま玄関に送り届けた。そして残念なことに、翌日には、彼女はそんなことコロっと忘れていた。あるいは、とぼけたか、ただの酒乱だったか(良く言えば天真爛漫の楽しい酒か)。結局彼女とは最後まで何もなく、数年後欧州人と結婚して向こうへ移住してしまったので、縁が切れてしまった。 久しぶりに彼女の事を思い出したのは、先日近所のおしゃれな店で、ヴァイオリンのミニコンサートが行われ、それを堪能したからだ。



私は、こういうヴァイオリンのミニコンサートが、とても好きだ。奏者と観客との距離が、実際にも音楽的にもとても近く、独唱を除けば、最も気軽にクラッシックの良さを楽しめる演奏会形式ではないかと思う。独唱は、シューベルトの歌曲等はもちろん素晴らしいが、言葉が理解できないので、現地の人達のようには楽しめない。その点ヴァイオリンの言語(音色)は人類共通で、皆同じように感動できる。もちろん演奏や作曲をやるような人には、弦楽四重奏曲のようなアンサンブルの方が圧倒的に面白いが、そういうのは、ある程度耳が慣れている人でないと実はあまり楽しめない。単純なヴァイオリンと伴奏のピアノだけなら、誰でもとても耳に心地良いのだ。店内はおよそ40人ほどの観客で満席。皆おおいに満足している様子だった。料金はなんとタダ。ランチかケーキセットを頼めばOKというシステムだ。私は「自家製こだわりパンと香草を使ったサンドイッチランチ」を注文した。美味しいスープとコーヒーも付いて790円。安い。


この日の演奏者は、アマオケに所属しヴァイオリン教室も開いている人だそうだが、留学とか音大とかには特に行っていない只のアマチュアだという。だがそこはさすがソロコンサートを開くだけのことはある。予想よりもずっと良い演奏だった。高そうには見えないヴァイオリンだったが、透き通ったなかなか良い音を響かせていた(例え一億円かけたオーディオシステムでも、スピーカーからはあのような音は再現できない。優れた演奏のクラシックコンサートは、そういう美しい音が堪能できる、なんとも贅沢な時間と言えよう)。30代半ばと思われるこの演奏者は、なかなか個性的な女性で、特に魅力的だったのは、弾いている時のクールな表情だ。普段私は、少しでも多く音を堪能したいので目をつむるが、彼女の表情があまりに魅力的だったので、ついつい見入ってしまった。これも至近距離のミニコンサートならではの楽しみだろう。プログラムは、半分がクラシックで残りは一般の人にうけるモノ。まあそれはいいのだが、第2ステージもクラシックは同じ曲だったのは残念だった。ランチが出てきたのが注文から一時間後(!)、第2ステージが始まる直前だったので、そのまま聞いた。難易度が高いクラシック曲は、あまりたくさん用意できなかったのだろうか。第1ステージの観客の多くがそのまま残る事態も想定外だったのかもしれない。(演奏者の皆さん気をつけてね)



実は前述の彼女の演奏を初めて聞いたのもこの店だった。衝撃的だった。何でこんな田舎の場末の喫茶店でこんな演奏が聞けるの?と思った。ヴァイオリンは、お爺さんが田畑を売り払って用意した高級品。腕前は欧州の一流音大で鍛えられてきただけあって文句なしの一流。音に向こうの香りがした。長い留学生活から帰国して間もない頃だった。向こうでは高い評価を受けていたそうで、それを誇らしげに記していた。しかしどうだろ。彼女に連続ドラマやアニメ音楽が演奏できただろうか。先日のコンサートでも、ウケたのは、もっぱらそういう曲だった(観客が歌いだすほどだった!)。「日本人にはこういう音楽が一番」と先日の奏者は堂々と開き直っていた。クラシック音楽は欧州の音楽。それは事実だ。それをこんなにも愛する私が異常なのだろうか。幼少の頃からピアノやヴァイオリンの教室に通いクラシックを叩き込まれた人の中には、大人になるとクラシック嫌いになる人が意外と多いという。あるいは、ロボットのように正確に弾けるが、実はあまり愛していないという人も。しかし欧州暮らしを楽しんできた彼女は、とても愛していたようだ。彼女の演奏からもそれがうかがえた。そういう彼女には、日本の暮らしは、いろいろ考えさせられる事が多かっただろう。人妻になった彼女のその後を知る由もないが、幸せに暮らしている事を願うばかりだ。


彼女も、自宅のはなれに、立派なグランドピアノがある部屋で、ヴァイオリン教室を開いていた。私の自宅から10分ほどの距離だ。私は頻繁に彼女の元へ通った。今から考えれば、恐ろしく幸運なことだった。あれほどのプロから、マンツーマンで濃密な指導を受けられたからだ。私は作曲が趣味で、その前のヴァイオリンの先生やピアノの先生にも、頻繁に曲を持って行ったが、あまりウケなかった。口では「すご~い」とか言って褒めてもらえたが、マトモに演奏してもらえなかった。しかし彼女は違った。楽譜を見るなり真剣な表情になり、素晴らしい気合で弾いてくれた・・・あのトロけるような甘い音色で。 涙が出るほどうれしかった。彼女は、周囲の他の生徒さん達にも、「素晴らしいでしょ!○○さん(私の事)が作った曲ですよ」と言って褒めてくれた。これも本当にうれしかったな。おかげで、モチベーションがグーンと高まり、私は彼女の元へ行くたびに新曲を持って行った。彼女の凄いところは、私が、独学で、知識不足のため、楽譜に間違いが多いにもかかわらず、「これはたぶんこう弾けということですよね」と、フォローしてくれたことだ。「こういう時はこう書くのですよ」と教えてくれた。彼女が欧州へ行かなければ、あるいはあと数年日本に居てくれれば、私の音楽学の知識は、今とは比較にならないほど高まっただろう。 ・・・ 仕事の取引先でも友人でも、相手が独身女性だと、残念な別れがいつも唐突にやってきた。彼女のそれは、その中でも最大級のものだ。演奏会終了後、店でコーヒーをすすりながら、私は夢中に作曲していたあの頃の事を、懐かしく思い出していた・・・。


そうだ、恥ずかしいが一曲だけ披露しよう。彼女の誕生日にプレゼントした曲だ。楽譜のアップの仕方が分からないので文字で。リズムはこう。「タッテッター、トッテッター、タタタタ タタタタ テッテッター」 何でもいいがト長調ではA線ワンポジから「レッミッレー、シッドッシー、ドドシシララソソ ファ・ミィ・レー・」 歌詞は「誕生日―、おめでとうー、チカちゃん先生おめでとうー♪ララ」という感じ。後半ぐいぐい展開して盛り上がって、最後はまたこれに戻ってトニックという古典的なパターン。どう?楽しそうでしょ?(笑) 車の中で歌ってあげたら、これがもうバカウケ。この曲はその少し前に急遽作った物なので、その手書きの楽譜をプレゼントしてあげたら、とても喜んでくれた。物的プレゼントは何もあげられなかったが、おかげで大いに盛り上がった。  プロとアマの違いはあったが、信頼する演奏者と作曲家という独特の関係があった。 最高の友人だった彼女を失った事は、あまりに痛かった・・・。  注:チカ=仮名

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音楽を通して仲良しの二人。貴重な出会いだった。美しいお顔を紹介できないのが残念。

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おやつを通して仲良しの二人。パパ大好き♪と言っている。可愛い。そういえば彼女も、大の犬好きだったなあ。

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むぎゅ~と抱きしめられるチビッ子。何も考えず、いつでもどこでも、好きな時に、好きなだけ自由に抱きしめれる。ドーベルは、そんな飼い主のわがままに、よく応えてくれる、最高の癒やし系ワンコだ。


彼女と一緒によく弾いた思い出のカノン。いつも後から上手に合わせてくれた。



第59話 野良犬の飼い方

2011年07月18日 00:15

考えてみれば、私が幼い頃の時代は、犬を飼うといえばそれは野良犬だった。当時は野良犬があふれていた。保健所が徹底的に「駆除」するまでは、おそらく日本中そうだったろう。だから、私も経験があるが、可愛い子犬を拾ってきて、母親に叱られる子供が、日本中至る所に居たはずだ。今の若い世代には想像できないだろうが、昔は野良犬を飼う事は、それほど珍しい事ではなかったのだ。ところでこういう子犬は、普通の犬とどこか違うのだろうか。実は小さければ、あまり変わらない。成犬の野良とはわけが違う。つまり野良生活の日数あるいは年月によって、ひと言で野良といっても全然違うわけだ。また、途中で飼育放棄された捨て犬も、同様に野良生活の長さに比例して違うだろう。さらに、人間に飼われた経験がない純粋な野良犬とでは、これまた全く違うだろう。野良犬といってもいろいろなわけだ。


今から20年ほど前、最初のドーベル「イシュ」を飼う前だが、私の母と弟が相次いで野良犬を飼った。母親が飼った野良は、推定5歳以上の成犬で、野良生活が長かったのか、ボロボロの状態だった。よほど空腹だったのか、玄関先でたまたま出くわした母に、食べ物をねだり、哀れに思って食べ物をあげたところ居ついた。両者の関係はペットと飼い主というよりは、単に食べ物でつながっていただけの状態だった。名前を適当につけたが(確かジョン)、そんな事はお構いなし、呼んでも愛想など全くない。犬小屋(というかスペース)を用意してあげたところ、やっと厳しい放浪生活から開放されたと思ったのか、ホッとした様子で、出て行こうとはしなかった。「自由」なんて真っ平ごめん、ワシはここを離れないぞ、という感じだ(この事からも、野犬ではなく捨て犬と推定される)。せめてオスワリ・フセぐらいの愛嬌を振り撒けよ、と私が調教を試みたが、「じゃかましい!」と牙を剥かれるだけだった。


しかし母はこの犬を、非常に可愛がった。なぜなら、食事分以上の働きをしてくれたからだ。どんな仕事か。そう、番犬だ。当時母は父と別居し、新たに購入した一軒家に一人で暮らしていた。男の私でも山荘に一人で居ると怖い。獰猛な忠犬が側に居るのと居ないのとでは、安心感が(実際の安全性も)全く違う。一方ジョンも母に恩義を感じていたのか、母を守ろうとする意識が、明らかに有った。私が母とちょっとした口論をした時など、ジョンの鋭い視線を感じた。例えばの話だが、もし母に暴力を振るおうものなら、ジョンが飛び掛って来たに違いない。「俺の金づる(飯の種)に何をする!」なのか「俺の家族に何をする!」なのか、理由は分からないが、犬という動物の性質とは矛盾しない。 そして、やがて両者には、絆が育まれていった。年季の入った野良犬を飼うのは非常に難しい。しかしこういう稀な成功例もあるのだ。成功の要因は何だったのだろう。まず何といっても前述の利害の一致がある。互いに互いを必要としていた。そして両者は、それ以上は何も求めなかった。必要なかった。だから無理に調教をする必要もなかった。もし無理をしていれば、あのような幸せな関係にはならなかったと思う。ジョンが死ぬ頃には、両者の関係は深い絆で結ばれていた。相手は筋金入りの野良だ。それはひとつの奇蹟だった。


弟が飼った野良は、可愛い子犬だ。名前はラッキー。保健所送りにならなくてラッキーな子という意味だった。しかしこの子は、かなり不幸な末路をたどる事になる。非常に可愛い子犬だった。とにかく、ぬいぐるみのような可愛いルックスで、成犬になってもそのままのルックスで大きくなった。愛嬌たっぷりで人なつっこく、しかも利発だった。教えれば、コマンドもどんどん覚えた。無駄吠えもなく、声がまた、とても可愛らしかった。本当に良質な素質を持つ子だったのに、なぜ不幸に? ・・・飼っていたのが、転勤族の当時まだ独身の弟だったからだ。弟も当時自分で購入した一軒家に一人で住んでいた。数年間ラッキーと幸せに暮らしていたが、転勤の為そこを上の兄夫婦に譲り、ラッキーも託した。弟は初めての遠い地方への転勤、会社が用意してくれた部屋はペット禁止、泣く泣くあきらめた。私が飼えば良かったのだが、もうイシュも居たし、乗馬の試合に出る為にあっちこっちへ遠征していたので無理、よその家に行くよりは、住み慣れた家の方がいいだろうという判断もあった。だが・・・兄嫁は、あまり犬が好きではなかったようだ。しかも、わんぱく盛りの小さな男の子が3人も居た。小さな男の子は、犬にとって天敵ともいえる存在だ。ラッキーがその後どうなったかは、・・・想像にお任せする。


ひとくくりに野良犬といっても両極端なジョンとラッキーだが、このようにその後の人生も両極端になった。牙を剥くような危険な野良の成犬が、なぜ飼い主と深い愛で結ばれ、幸せな最後を迎えられたのか。犬の調教ではよく、応用行動分析でいうところの、嫌子出現(嫌な事が起きる)による(行動の)弱化という手法が用いられる。簡単に言えば、吼えるたびにぶん殴れば、犬はおとなしくなり従順になるという考え方だ。確かに犬にはそういう面がある。目立たない何だかの方法でこの手法を使えば、その瞬間はまるで魔法のように犬は従順になり、飼い主はそのトレーナーの魔術に、さぞ驚く事だろう。しかしこの手法は、よほど悪魔のような恐ろしい手段でも使わない限り、おそらくジョンには通じなかっただろう。老獪な野良ジョンには、もう弱みなどない、怖い物などない、そうした超然としたところがあった。そもそも、もうこれ以上ないほど嫌な体験を積んできた野良犬に、今さらさらに嫌な事を追加しても、効果はほとんどない。


ジョンの場合、飼い主が何も望まなかったし何も要求しなかったのが良かったのだと思う。ただそこに居てくれるだけでいい、両者は互いに干渉せず。そういう淡白な関係だったから、自然発生的なものも含め嫌子の出現が無かった。つまり逆に、「嫌子消失による強化」という現象が起きたわけだ。そうして良い意味で年月が積み重なり、やがて深い愛情と信頼をもたらしたのだろう。成犬野良の調教には、安易な手法は通用しない。もちろん犬の威嚇に怯えない毅然とした態度が必要だが、同時に、深い優しさ、寛容さが求められる。もしおやつを食べてくれるのなら、それを利用していろいろ遊べるはず。何かする度によく褒める。この人と居ると楽しいと思わせる。焦らず、年月をかけて絆を少しずつ深める。短気は絶対禁物。不必要に絶望せず、長い目で見る。繰り返しになるが野良は叱っても逆効果になる可能性が高い。笑顔と友情で良い方向へ導く。育まれた本物の絆でなければ、人間不信を持ち人に媚びない野良成犬は、パートナーにはならないだろう。これは、保健所で引き取ったワンコとの付き合いにも言えることだと思う。

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愛情あふれる環境の中ボールとたわむれるチビッ子 ・・・ 不幸なワンコ達の事を考えると、胸が痛む。



マスカーニ・カヴァレリア・ルスティカーナ






第58話 つらい診断

2011年07月13日 19:15

先日健康診断を受けた。節制に努め、リバウンド無しでピーク時より体重を15kgほど減らす事に成功していたので、健康状態には比較的自信を持っていた。散歩の足取りも軽かった。しかしこの暑さのせいかここ最近体調が悪く、少々心配な症状もあったので受診してみた。その結果は、思いもよらない、つらい診断だった。

医師は私が動揺しないよう慎重に口を開いた

・・・(以下続く)

気力を取り戻して続きを書く。あの雰囲気から、てっきり末期癌の告知だと思ったが、医師の診断は、重度の糖尿病だ。一年ほど前に画期的な新薬が登場して以来その恐怖はかなり軽減したとはいえ、恐ろしい病である事には変わりは無い。空腹時血糖値は232 mg/dl。これは基準値100 mg/dl未満、危険値110、即座に糖尿病と判定される126 mg/dlよりもはるかに上の危険な数値だ。ヘモグロビンA1cも基準値5.2の倍以上の12.1、尿検査で糖も出ている。肝機能検査もγ-GTP基準値50以下を上回る58。深刻なのは、合併症と思われる様々な自覚症状が、すでに出て来ている事だ。このままでは失明、足の壊死、肝機能障害で人工透析等々になりかねない。あるいは心筋梗塞か脳梗塞か。そうなってからでは手遅れ、新薬は関係ない。一刻も早い治療が必要だ。さっそく適切な病院を探し申し込んだら、何と予約が一ヶ月先までいっぱいだという。私は一刻を争う状況なのに!(皆そうか)


やむをえない。幸運を祈るのみだ。不運にも予約前に、!!!の場合、自分も知らない間にポックリ死ねれば、苦しまなくてすむし周囲にもあまり迷惑かけずにすむのだが、なかなかそうは行かないだろう。 ああ神様 


節制と治療が上手くいって、血糖値等が正常値になり、その状態を維持できれば、平均寿命は健常者とそう変わらないという。だがいくら新薬が優秀でも、現実には重症なメタボ型糖尿病患者になるような人がそういう優秀なエリート患者になるのは、メタボのデブから筋肉マンに変身するぐらい難しかろう、特に私のような独身男性には。 そうだとすると、メタボ型糖尿病患者の平均寿命からまあざっくり計算して私の余命はおそらく・・・ぐらいか。寂しい話だ。 否、それでいいのか? 合併症で重度の障害者になる事態だけは絶対避けねばならない。何としても頑張るのだ。よし、筋肉マン、じゃなくて、優秀なエリート患者になることを目指そう。 私は酒好きの美食家だ。スィーツや米やパンや麺にもこだわりを持つ。しかし今日からはそれらを絶ち、糖尿病患者としての自覚を持ち、草食系男子になるのだ! ふ~~~・・・(気合と溜息)。

ちなみに捻挫や骨折などのリスクがない比較的安全な運動といえるアレに励むことは、特に男性患者にはとても良い事らしい。EDの予防にもなる。逆に意識して鍛えなければ、糖尿病患者は非常にEDになりやすいようだ。パートナーがいる方は、ぜひ励んでください。独身の私は、これも大きな問題だ。パートナー探しに励まなくては。 ・・・ でも、動機がこれじゃあ、張り倒されるのがオチだわな。 ^^;


アイネクライネ・・ こういう時はこれに限る。ブルーノワルター?素晴らしい名演だ

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「チューちゃんパパトウニョウビョウになちゃった」 「ふ~ん」


第57話 凄いぞデザリング

2011年07月04日 14:06

私の住んでいる所は、自宅も別荘も何故かブロードバンド環境(ネット環境)が悪い。山の中の別荘は仕方がないにしても、大都会(名古屋)に近い自宅まで、未だに古臭い設備のひどく遅いADSLだ。それでもつい数年前まで、それすらなかった。光なんて今でもない。この町はネット時代が始まってからずっと置き去りにされており、私は10年前からNTTに苦情を言っていたが、全く無視されてきた。投資に見合うだけの収益が得られない地域だからという理由で。重要なインフラを担う公的存在の責任感がまるで無い。「民営化とはそういうことですから」と開き直られることまであった。まったく、とんでもない話だ。 ・・・とは言っても、まあ確かにわずかな客のために基地局を作り、町中に線を張り巡らせるのは、いち営利企業になったNTTには、公的援助でもなければ難しい。人口が急増して町が大発展する事も考えにくいし、設備は老朽化するし維持費もかさむし・・・


ところが、そういった問題を、一気に解決する新しい技術が、わが町にもやってきた。無線ブロードバンドだ。(うれし~)


で、auのHTCイーボ(EVO)というのを購入してみた。今流行のスマホ(スマートフォン)だ。私が持っている携帯は古い機種で、とても小さいのに高性能な「メディアスキン」というものだが、電波の整理に引っかかり、あと一年で使用不能になるという。とても気に入っていてまだまだ使えるのに、もったいない話だ。私はあまりバックは持たずポケットに入れるから、スマホはでか過ぎるのだ。そうブツブツ言いながらも使ってみると、さすがに技術の進歩には驚かされた。ドコモで先月新発売された韓国サムスン製ギャラクシーS2は、デュアルコアの高性能CPU搭載などという凄いスッペックだが、昨年発売のこのイーボ(台湾製)は、それに比べれば幾分落ちるのだろうがそれでも私を驚かせるに充分な性能だった。この夏モデルからやっと日本勢も本格的にスマホを出してきたが、え?新製品なのにデザリングに対応していないの?と、逆の意味で驚かされた。(デザリングとは、スマホ携帯の電波で、パソコンでネットが出来ること)


スマホがネット環境を自由にしたとよく言われるがそれは違う。スマホとデスクトップパソコンでは、性能がまるで違う(デュアルコアのギャラクシーS2は例外かも)。スマホを親機にしてUSBデザリング(有線デザリング)して同じ電波を使って比べてみると、古いXPのパソコン(P4の3.4GHz)でも、はるかに早く、比較にならないほど高性能だった。スマホのレベルには正直がっかりした。メモリーの容量が少なすぎるのかもしれない(ページを戻すと、いちいち新たに読み込んでいる。前述のギャラクシーS2ならメモリー容量約2GB!とパソコン並み)。だいたいスマホとパソコンでは画面の大きさが違う。目が悪くなるようなあんな小さな画面と大きな画面とどちらが良いか。私は縦置きにできる23型のディスプレイで普段ネットを見るが、そのほうが圧倒的に快適だ。スマホにはもっと別の使い道があって、それらの為にネットにつながる、あるいはコミニケーションツールと考えるべきなのだろう。


だから普通のスマホでは私にはあまり魅力が無いのだが、この携帯、なんとWiMAX(ワイマックス)のデザリングなのだ。そう、うちのADSLより、よっぽど早い!倍ぐらい早い!しかも、つまり毎月払ってるADSL代が、不要になる!のだ。さらに、外でも使える、すなわち別荘でも使える!やっと山でもブロードバンドだ!これで一年の半分は山に居られるようになるかも(笑)。 ただ、山はまだWiMAXエリア外。エリア外の時は3G(比べるとかなり遅い普通の携帯のデータ通信)になる。自宅でも時々3Gになるのか、遅くなることがある。ライバルのLTEが気になるが、まだまだごく一部の地域で始まっただけ。だがWiMAXはすでに全国区。WiMAXデザリングができるスマホ、イーボ登場のおかげか、ここへきて急速に普及しているそうな。LTEの本格普及は3年後とか。その間には両規格とも技術が大きく発展し、さらに高速化する模様。現状では少なくとも私には、今でも充分使えるこれがベスト。これで山でどうかだが、もうすぐ山に行くので楽しみだ。


色々な機能があって楽しい。撮影の性能もなかなか良い。特にビデオ。チビッ子が生きていたら、たくさん撮ったのになあ・・・

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自宅にて。ADSLより早い。デザリングのおかげで毎月のADSL代が浮いた。

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スヤスヤ・・・古い携帯で撮った写真。写真はいいが動画がダメだった。生きていればたくさん撮れたのに・・・



レスピーギ リュートのための古風な舞曲とアリアよりシチリアーナ