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第56話 さびしい芸

2011年06月22日 12:59

犬に芸を教える事は、とても良い事だと思う。犬の活性化、運動やスキンシップをする為に、飼い主は色々な事をするわけだが、通常おもちゃ遊び等では、10分もすれば飽きられてしまう。だが、教え込まれた何かの芸に成功し、人間からヤンヤヤンヤと称賛されると、犬は鼻高々になり、ノリノリのハイな気分になるのか、次々に繰り出されるコマンドにも、喜んで反応してくれる。犬にはそういう単純で可愛らしいところがある。この特性を使わない手はない。


芸を教え込むのは簡単ではなく、高いスキルが必要だが、飼い主が短気さえ起こさなければ、失敗しても成功しても、犬と飼い主との親密度は増し、絆がより深まる。なぜなら少なくともその間一緒に過ごし、共同作業をする時間を持つからだ。そして、運良くもし成功すれば、それは非常に大きな、その子にとって一生の財産になる。その芸のおかげで、いつでも、タダで、芸が成功するたび飼い主にも犬にも喜びが得られ互いに愛情が増すというご褒美が、生涯得られるからだ。



良いこと尽くめだが、ただし、芸の調教に失敗した飼い主が癇癪を起こし、「お前はなんてダメな奴なんだ!」等とののしれば、その子の心は傷つき、場合によっては深刻な事態になる。「冷静な調教なんて自分には無理」と思うのなら、せいぜいオスワリ・オテ・フセ・マテぐらいにしておいた方が良いかもしれない。調教中の音声を録音し、自分のトーンを確認する事をお勧めする。例えば「バカだなチューちゃん」というセリフでも、言い方によって、犬が愛情を感じる事もあれば、その逆になる事もある。調馬索で馬を調整するとき、「ホーホーホーホー」と声をかけるが、声のトーンを微妙に変えて、並足にしたり早足にしたり駆け足にしたりする。声のトーンで指示の内容が全く変わるわけだ。犬でもこれはほとんど同じ。だからトーンがデタラメだと、日によって、あるいはその時によって、指示の意味がコロコロ変わってしまい向こうは混乱する。


また、指示自体も、実は非常にデリケートなもので、本当はおそろしく緻密なものだ。第23話の馬術大会の動画を見れば分かると思うが、馬には難しい非常に高度な芸を、外部からはほとんど分からない指示で、騎乗者は馬を自在に動かしている。私の経験では、薬指を1ミリ動かすだけでも明確に指示が出せる(むろん手綱がきちんとコンタクト出来ている状態)。世界のトップクラスなら0.1ミリかも、は冗談だが、想像を絶する精密さなのは間違いない。人間が自分をコントロールし、指示のミスや無駄を極限まで無くせば、それぐらい緻密な指示を出せるようになるのだ。高度な芸をさせるには、そういった高いスキルが求められる。自分が指示のミスをしておいて、馬や犬のせいにし怒れば、彼らは極めて不快だろう。白い目でこちらを見てきた時は、たいていそういう時だ。最悪なのは自分が今ミスをしていることを想像すら出来ないことだろう。



芸の仕込み方は芸によってそれぞれ違うので、ここで紹介する事はできないが、ひとつだけ言えば、犬は、人間とは違う脳を持つという事をよく理解し、人間の常識を持ち込まない事だ。芸の仕込みは、ちょうどコンピューターソフトを作るのと似ている。積み重ねという概念が必要だろう。むろんソフトが製作者の思惑通り機能しないのは、コンピューターのせいではなく製作者の責任だ。Aという芸をさせる為に、どのような作業が必要か、それをできるだけ細かく分類し、犬の思考回路の特性を考えながら順序だて、それぞれの作業について、第54話で記したように、「イエス・イエス・グー。イエス・イエス・・・・・イエス・グー。( ・・・ ← 違う場合、ダメ!馬鹿!等と言わず、無言に!)」というように探っていく。「グー」の時にしっかり記憶させられれば、グーごとに一歩一歩前進していく。肝心なのは、この一歩一歩を、楽しめるかどうかだ。楽しめれば、犬も人間もどんどん前進するはず。楽しめる工夫と心構えが必要だろう。疲れている時や機嫌が悪い時にするのは避けたい。



イシュが得意だった芸のひとつに、新聞運びがある。妻が門等でイシュに新聞を渡し、それをリビング等に居る私が受け取るのだが、成功したイシュに、「は~い、ご苦労さん。チューちゃんおりこうだね。ムチューーー!おりこうおりこう!」などと褒めると、イシュはとてもうれしそうな顔をした。ママも大喜び。3人そろってニコニコ顔の、楽しい、本当に幸せな瞬間だった。だから、二代目チューちゃん(チビッ子)にも、ぜひこの芸を仕込みたかった。ある日頃合を見て、私は本格的にこの芸の調教を始めた。まず新聞を上手に噛むところから始めた。最初は新聞をバラバラにしてしまったが、さすが頭の良いこの子は、すぐにコツをつかみ、最小限の傷で上手に噛めるようになった。


次に行ったのは、まだ小さいので持ち上げるのは難しいから、まず新聞を引っ張る事を覚えさせようとした。歯とあご等を使うメカニズムは、両者はよく似ている。引っ張るだけなら簡単で、失敗は少ないはず。 ・・・ ふふふ、よしよし良いぞ、思ったとおりだ。上手だね。おおブラボー素晴らしい!「チューちゃんオリコウだね!グー!グー!」とかなんとか言って喜んでいたその時、私は、重要な事に気が付いた。そう、人間が一人では、この芸は成立しないのだ。 ・・・ まあ、くわえさせて待たせ、私が離れて行って持ってこさせても良いのだが、なんか、それって、あまりにむなしくないか?と私は自問自答し、結局中止した。 順調に楽しく進んでいたのに、突然中止を宣告され(新聞で遊ぶ事を禁じられ)、チビッ子は、「え?なぜ??」とかなり不満げだった。「あははチューちゃん、パパ、アンポンだった!」と、私は自嘲したが、「しら~~~」という空気が流れ、チビッ子から白い目で見られてしまった・・・。


そういえば、イシュの時と違ってチビッ子の時は、こうやって、「パパのアンポン」と、ヒンシュクをかうことが、何かと多かったなあ~。

最近、孤独感が強い。まあそういう事を覚悟して今の生活スタイルを選択したわけだが、想像していた以上に辛い生活だ。一人暮らしは、私には向いていないのか。チビッ子が居た頃は、全然寂しくなかったのになあ~・・・。


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「チューちゃん起きて。新聞運びやるよ」 「へ?新聞運びってな~に?」 

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さすがチューちゃん。数日で新聞を上手に噛めるようになった。素晴らしい

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「は、しまった!よく考えたら運ぶ相手が居ない。チューちゃん中止!」  「へ?」

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「んも~~ワタチせっかく頑張ったのにー」と突然新聞噛みを禁じられチビッ子ぷんぷん


レスピーギ イタリアーナ この場面を思い出していたらこの音楽が浮かんだ。レスピーギといえばシチリアーナだが、これもけっこうイケル。なかなか良い演奏だ。





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第55話 全ては飼い主が作った

2011年06月15日 19:01

アルファシンドローム、権勢症候群とも言われる、一昔前に盛んに言われた「症候群」だが、そんなものは学術的には存在しないというのが現在の定説になっている。しかし日本のドックトレーナーの多くが今でもアルファシンドローム存在説を信じ、現実にそういう危険な犬がたくさん居ると口を揃え、さらにはそのアルファ部分をやっつければ、犬は素晴らしく従順になると主張する。「学術論文などへのカッパ」というのは、それらが、匿名の与太話投稿と同列に扱われるネットの世界ではありがちな事だが、リアルな現場の人間の意見と、学術論文がこれほど対立する例は珍しい。


これにはこの問題特有の特殊な事情がある。なんといっても相手は犬だ。一匹一匹違う。それらをひとつの定義にまとめるのはそもそも難しい。つまり目の前で起こっている事が学説とピッタリ合わなければ、その時その人にとってその学説は意味をなさない。さらにそれに個人的感情、思い込みも影響してくる。犬を、下等動物と見るか、高い知能を持つ立派な動物と見るかで、両者の見方、考え方は、大きく異なってくる。これに宗教観も関わってくる。また、国によっては、犬を食用にしていた歴史も関わってくるかもしれない。世界のほとんどが犬食の歴史を持つが、アジア諸国は特に盛んだった。宣教師ルイス・フロイスは『日欧文化比較』で、「日本人は牛は食べないが犬は喜んで食べる。見事に料理する」と記している。今どき犬を食べたいと思う人はいないだろうが、毎年大量に殺処分される現実を見ると、どこかに犬を軽んじる風習が残っているのか、と思えてくる。



話を戻そう。私の意見では、アルファ症候群などない。犬が人間と犬を区別せず、人間の上になろうとする事などありえない。そう見えるのは、ようするに飼い主が調教を失敗したに過ぎない。犬は馬と違ってとても単純だ。デジタル的といってよい。例えば鼻をつまむ。これは有益なスキンシップだが、しかし不注意にやれば危険な行為だ。ある日、何かの拍子で、反射的に咬んでしまったとする。正面から来る異物から急所を守る自然な条件反射だが、これで飼い主は、以後厳しい立場になる。咬んだら防御できたと記憶されるからだ(この場合、興奮が助長されるので、噛まれたとき悲鳴でも怒声でも甲高い声を出すのはまずい)。厳しい言い方だが、ある意味一度そうなったらもう終わり。一生その記憶は犬の脳に残る。飼い主が触れようとして咬まれるのは、それほど深刻な事態だ。甘咬みとはわけが違う。


万一そうなったら、私はなら「あ」という言葉をあげ、その場で犬を静かに脅迫する。「う~~~」と低いうなり声を上げて威嚇し、しばらくしてから威厳を持って犬の前に立ち、「おすわり」「ふせ」をさせ、ばっちりできれば「グー」と言い、その日はそれ以後何もせず静かに終える。ただし犬が即座に「パパごめんなさい!」と、ひっくり返って腹を出せば、それは「ワタチパパに服従します!」のサインだから、これら脅迫の必要は無い。その場でたっぷり鼻をつかんで楽しく遊び、良いイメージ、良い記憶を犬の脳に送り込む。



鼻をつまむなら、不注意につかもうとして咬まれるという最悪の事態をまねかないよう非常に慎重に、例えば、犬を油断させるような声をかけながら、胸あたりから耳後ろを回って、まずはさりげなくソフトに鼻をつまむ。さすって気持ち良くさせながら、等の工夫が必要だ。たかが「鼻つかみ遊び」の例に過ぎないのだが、こういう些細な失敗でも、積み重なっていくと、凶暴なモンスターを育てる事になる。私はイシュの時、いろいろな困ったワンコたちに出会った。最悪命にかかわるような事件にも出くわした。私は、チビッ子では、特に大型犬との接触は避けた。噛み殺されてからでは遅い。たいていの野生動物、熊や野良猫は、犬が吼えればトラブルを避けるため逃げる。しかし調教に失敗している犬は違う。こちらに襲いかかって来るのだ。(参照:ドベがトイプーを襲い噛み殺した事件


彼らには、牙を剥き襲い掛かり、何かの利益を得た、そういう経験がある。その利益が、本能を満足させる快感なのか、何かは分からないが、そういう経験がある犬に、学術的裏付けもない無意味なレッテルを貼ることは、問題の本質を曇らせるだけだろう。私は今でも愛猫を噛み殺した犬が憎い(第10話)。しかしあの犬に罪はあるのだろうか?別の人に飼われていたなら。 長い年月をかけ、人間に養われながら進化してきた犬たち。犬の幸せの為に、調教技術がますます進化する事を祈りたい。


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パパの足にじゃれ付くチビッ子。 思い出すと足がムズムズしてくる。今となっては懐かしく楽しい思い出。

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別のアングルでは凶暴そうに見える。犬は狼だ獣だという人達には、これはアルファ症候群だ!という事になる?

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こら~よくも咬んだな~おらおら♪と腹を向けさせたところ。チビッ子もけっこう喜んでいる。これでもアルファ?

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「ぐふふ♪パパ~」と、イタズラっぽい顔で迫ってくるチビッ子。私が昼寝から目覚めるとよくこういう表情で現れた。

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「ねえパパ、おうちに入っていい?」という表情のチビッ子。信頼感あふれる素晴らしいアイコンタクト

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「まて」のコマンドを出したところ。忠実にマテの命令を守っている。今か今かと「よし」を待っている。

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「よし」でジャーンプ。これぐらいの頃から、一っ飛びでリビングに来れるようになった。


美しい短調K.491 演奏はクララハスキルと思うが不明 持っているレコードとはカデンツァが違う

第54話 手探りの会話

2011年06月11日 00:53

今から30年位前、20代前半の頃に、北欧の同世代の女性と交際した事がある。ブルーの瞳、真っ白な肌をした金髪で、まるで人形のような美人だった。言葉を発すると人形がしゃべるみたいで、とても不思議な感じがした。彼女はよく、清楚な笑顔で微笑みながら、いたずらっぽく私の言葉を反復していた。反復していたのは、少しでも私の言葉を理解しようとしていた為だろう。私も、彼女の言葉をほとんど理解できなかった。やがて互いに「なぜ理解できないのだ!」とフラストレーションがたまり、だんだん声が大きくなる事があった。英語を母国語にしている人が来日すると、言葉が通じないために、だんだん声が大きくなるというが、そんな感じだ。



北欧の人から見れば中国人も日本人も一緒に見えるようだ。もし、「日本人なのになぜ中国語が話せないの?」などと聞かれたら、日本人なら誰でも「この人アホ?」と思うだろう。同じように彼女に向かってなぜ英語が話せないの?と聞けば、彼女からアホ?と思われるに違いない。 ・・・ (犬に向かって、なぜ私の言葉が理解できないの?と聞くのは、もっとアホである)



彼女はあまり英語が出来なかった。もちろん日本語も。だから会話が成り立たない。そこで手探りの会話が始まった。互いに一目惚れのような感触があって好意的だったので、この「未知との遭遇ゲーム」を、熱心に取り組むことが出来た。とりあえず「Are you hungry?(お腹すいた?)」と聞いてみる。答えは「No」。そこで自販機の前に案内し「何か飲む?」と聞いてみた。興味深そうに自販機を見たので、コインを入れ、日本語で「お好きな物をどうぞ」と言ってみる。なんとなく理解したようでジュースを選び、サンキューと言いながら飲んでくれた。たったこれだけの事だが、意思が通じ、とてもうれしかった。一種の快感だった。彼女も同じ気持ちだったようで、その後急速に距離が縮まった。



犬との手探りの会話。ワンちゃんたちが何を言いたいのか、飼い主が何を求めているのか、愛し合う飼い主とワンちゃんは、互いに最後の時まで相手を理解しようと、手探りで答えを捜し求め続ける。努力が実り意思が通じれば最高だ。先ほどの例のように、「たったこれだけ」の事でも、とてもうれしい快感が得られ、幸せな気持ちになれる。通じた時の喜びの共有。これぞワンコを飼う醍醐味のひとつだろう。



子犬にとってこの会話は、まさに未知との遭遇なわけだが、互いにどうやって意思の疎通を計るのか。子犬の成長は非常に早いので、ここは大切な勝負どころだ。脳の成長過程で、飼い主との意思疎通が多くとれれば、その後の違いは多大だろう。私は言葉が通じない彼女とイシュとの経験を踏まえ、その事を強く意識しながらチビッ子の初期調教に挑んだ。


まずこの段階で大切な事は、けっして叱らない事だと思う。子犬と同じ扱いをするつもりは無いが、もし自動販売機の前でもたついていた彼女を叱っていたら、どうなっていただろう。彼女は私に対し心を閉ざしたはずだ。彼女が興味深そうにあれこれいじくり回しても、私はただ黙っていた。表情は友好的かつ普通で。向こうはイタズラっぽくチラチラとこちらを見た。まるで何かを試すように。やがて彼女は私の目を見ながら、ひとつずつ指をさした。見本の缶や様々なスイッチを。私はすべて「イエス」と答えた。イエス、イエス、イエス。ノーは一切無し。そしてコインを入れ前述の結果になった。乾杯した。意思が通じあった事を二人で祝福した。


すなわち、自分の望みに近い時、あるいはその方向は、とにかく「イエス」。そしてずばり自分の想いどおりになった時は、「グー!」と喜ぶ。向こうは「ああ、こうして欲しかったのか」「ああこういう意味か」と理解する。互いにやっていたので、そうして徐々に理解が深まる事が私も実感できた。これと同じ手法を私はチビッ子の初期調教に使った。つまりバツは無し。違っている時、都合が悪い時は黙る。こうして欲しいと思っている事に近ければ「そうそう(イエス)」。正解なら「グー!」と褒め称える。例えば「持って来い」の場合、持って来るまでは「そうそう」。無事私の手に渡せば「グー!」。渡せず落としてしまった場合は「・・・」、という感じだ。



声のトーンも大切だ。声のトーンが「そうそう」と「グー」では普通にやってもかなり違うはず。どんな言葉でもいいが、トーンが変わるものにしたい。チビッ子の場合「グー!」ばかりだったので、私はいつも甲高い大声を出さなくてはならなかった。ご近所の人は、さぞ不気味だったろう。「あの人、嫁さんに捨てられ、イカレタ?」などと思われていたかもしれない。そういえば先日、隣の隣のお孫さんが、「こんにちは」と声をかけてきた。やあこんにちはと返すと、「おじさんちのワンちゃんどうしたの?」と聞く。そうか、ご近所さん、「あれ?最近グー!の奇声が聞こえないね」とでも言っていたのかな。



あの子は確かチビッ子と同じ年、5~6歳の女の子だが、チューちゃんを怖がらずに、気にかけてくれていたのだろうか。そういえば門の所で小さな子供がチビッ子と話しているのを見かけた事がある。無駄吠えをしない子だったから、子供と仲が良かったのかな。 私はグッと来た。「ワンちゃん死んじゃった。天国へ行ってしまったんだよ」と私は答えた。 ・・・「そうなんだ」とその子はとても悲しそうな顔をして家の方へ行った。ありがとう、チビッ子を想ってくれて。そしてチビッ子と遊んでくれて。(良かったねチューちゃん)。ところで2~4歳の幼児とチビッ子が、一体どういう方法で会話したのだろうか。私はふとそれを思い、あれこれ想像しながら、ひとり微笑んだ。

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「あれ?チューちゃん大きくなったね。可愛い可愛い子犬時代は、あっという間に終わりだね・・・」

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「そんなこと言わないでよ。ワタチは可愛いチューちゃんです!」とアピール中

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「ほら、こんな大きな獲物も一発でやっつけますよ」と、能力をアピール

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「ほらほらガルルルル!」と間違ったアピールをするチビッ子!

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「取られちゃった」と、しょんぼりするチビッ子

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「ほれ大サービス」 「わーい!」と大喜びのチビッ子


K.573 9つのピアノ変奏曲 ニ長調 クララハスキルさんのモーツァルトは全て本当に素晴らしい。特にK.491 探したがマトモな物が無い。レコードをコピーしてUPしたらまずいのかな。著作権は切れていると思うが。【追記】と書いたら削除されてしまった。残念。偶然? 仕方がないから別の演奏をUP。


第53話 犬の素晴らしさ

2011年06月07日 13:13

前話の続き。捕食動物と捕食される側の動物との相性など良いはずがないと思うのだが、チビッ子はあのチンチラを、「友達」と理解したようだ。そうでなければ前話のあの状況で、あのような結末になるはずがない。普通なら咬むか捕食するはず。あの事件は、あらためて犬の、あるいはドーベルマンの、知能の高さを感じる出来事だった。実はイシュもチビッ子も、その本能によって野ネズミを捕食した経験がある。お散歩コースの堤防には時々野ネズミが居た。当時ヨシが茂っていて暗くて危険だったせいか、堤防最下部にはほとんど人が居らず、部分的にリードを離して「フリー!」と宣言し(もちろん「コイ!」等の調教が出来ていた)散歩する事が多かった。ドーベルマンにとって野ネズミは、一番のごちそうのようだ。私の知る限り11年のイシュの生涯のうち2度、チビッ子も1度あった。いずれも見事な狩りだった。



あれはイシュが10歳ぐらいだったある日、かなり知能が高い敵が居て、イシュはじっくり30分ほどかけて追い詰め、最後は見事なフェイントをかけてゲットした事があった。大きなネズミだった。ネズミは犬に咬まれた瞬間にショック死するのだろうか、咬んだ0.5秒後には絶命したように見えた。美味しそうに食べ始めようとしたが、年のせいかあるいは相手が大き過ぎたせいか、一気に飲み込む事は出来なかった。若い頃にゲットした時は、同じような大きなネズミを、止める間もなくあっという間に呑み込んでしまったのだが・・・。 クチャクチャ咬もうとして気持ち悪かったので、この時はもちろん食べさせなかった。イシュにしてみれば、せっかく苦労してゲットしたごちそうなのに、お預けにされ、「えー!」と、プンプンしたことは言うまでもない。


チビッ子も一度、1歳ぐらいの時だったと思うが、同じような場所でゲットした事がある。通りかかった小さなネズミを物凄いスピードでゲットし、あっという間に呑み込んでしまった。よほど美味しかったのか、呑み込んだ瞬間パッと明るい表情になって、「パパ!こんなに美味しい食べ物ワタチ初めて!」という感じの、とてもうれしそうな顔になった。もちろんその日以後しばらくの間キス禁止になったのは言うまでもない。 そうだそう言えばこの時私は、怒ってしまったのだ。愚かな事をしてしまったものだ。いや、正しかったのか・・・おかげでチンチラ君が助かったのだから。でも、そのあと褒めすぎたか・・・。 と言うのも、後年山荘に野ネズミが出るようになったとき、なんとチビッ子、目の前をネズミが通っても、知らん顔なのだ! チューちゃんの役立たず!(ちなみに自宅は、周辺に凶暴な野良猫が居るおかげで、ネズミなど見たことがない。偉いぞ野良ニャンコ!)



いや、そうじゃないか。 
その頃チビッ子は、腫瘍で体の自由が利かなかったのだ・・・
あの状態で猫のような素早い動きが出来るはずがないじゃないか・・・



話を戻そう。さて、どうやってチビッ子はチンチラ君を、友達と理解したのだろうか。山荘の玄関に2つのゲージを用意し、留守番の時はゲージに入れた(私一人の時は、万一私に事故でも起きて帰れなくなった時の事を考え、けっしてゲージには入れなかった。玄関内に放し飼いにした。気休めかもしれないが、イシュもチビッ子もドアノブを開ける能力があったから、ゲージに閉じ込められたまま餓死するよりはマシだろうと考えた)。 彼らはゲージに入っている間、隣同士で何か会話でもしただろうか? 退屈しのぎに、互いに観察ぐらいはしていたはずだ。そしてチビッ子は、元妻や元妻が居ない間は私が、世話をしたり遊んであげたりするのを見て、チンチラ君を家族(群れ)の一員と認識したのだろう。あの時、あれがチビッ子ではなく猫だったらどうなっていたか。おそらくチンチラ君はアウトだったろう。家族などとは思わず、追い詰め、容赦なく本能を発揮したはずだ。



実は私は、どちらかというと猫派だった。結婚したら猫を飼いたいと思っていたぐらいだ。当時犬には、第10話で書いたような事情があって、むしろ嫌悪感を持っていた。ところが嫁さんが大の猫嫌いで(聞いてなかったから知らなかった!)、猫などトンデモナイという雰囲気だったので、泣く泣くあきらめた。逆にそれどころか彼女の希望で、(当時)犬嫌いの私が、「とっても恐ろしい猛犬」と新聞テレビ雑誌で大評判の、ドーベルマン!を、飼うことになってしまったのだ(今からおよそ20年前の話。当時ドーベルマンは、一般的にはとても危険な犬と思われていた)。よくもまあ、そんな状況で買ったものだ。そんな無茶を聞くほどラブラブの新婚だったのだろうか、あるいは言い成りの奴隷だったのか。まあ当時私の親兄弟皆犬を飼っていたので、その影響もあっただろう。飼ったら案外可愛いかも!と無理やり自分を納得させ、渋々承諾した。(でも、さすがに、いきなり猛犬ドーベルは無いだろ、せめて小型の・・・などとブツブツ言ってはいたが。まさかドーベルが、あんなに可愛くてオリコウだとは知らなかったし!)



猫好きの私は、時には残酷にも見える猫の本能や習性について、特に嫌悪感はない。もし何かあっても、猫だから仕方がないと思う。だが、このチンチラ事件は、あらためて犬を惚れ直すきっかけになった。私はこういうところに、他の動物には無い犬独特の素晴らしさ、いとしさを感じる。「あのチンチラは家族」と認識(!)、このような事は犬以外にはありえない。 また、何かに感動して、大きな図体の動物をギューっと抱きしめる、そんな快感を楽しめるのは馬か大型犬ぐらいだろうが、これが本当に気持ちいい。私は、感動して、「なんておりこうなんだ!」などと言いながら、ムギューっと抱きしめる事が、イシュやチビッ子で何度もあった。そういう時の彼らの反応や表情がまた非常に素晴らしい。とてもうれしそうにしてくれたり、あるいははしゃいでくれたりするのだ。 ・・・ これらは、愛犬家だけが味わえる至福の時だろう。 ワンコを、しかもドーベルマンを飼うきっかけをつくってくれた元妻に、私は感謝したい。 それがなければ、ワンコを(ましてドーベルを)飼う事など、無かったはずだ。 おそらく、にゃんこオジサンになっていたに違いない。


そうだ、猫とドーベルを飼えば、にゃんにゃん!ワンワン!にぎやかで楽しいかも!

ふ、独身じゃ無理か・・・

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これが問題のチンチラ君 なぜか時々私が面倒を見る事に

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苦手だったが、愛嬌たっぷりと感じる時もあった

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仲良しの二人

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ゲージに入れられ不満タラタラのチビッ子と、イタズラっ子チンチラ君の余裕の表情

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仲良しだった二人 奇跡的に残った一枚。写真を撮った事がバレ、このとき全て消去されてしまった・・・

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消去後撮ってくれた写真。チビッ子の可愛い写真がたくさん有ったのに! 当時はその価値に気付かず


ふ~、なんとなくこんな気持ち。ブラームスの子守唄。