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第45話 私を一人にしないで

2011年04月28日 02:37

15世紀フランドル楽派の巨匠オケゲム(あのモーツァルトよりも3百年も前の作曲家)、チビッコが死んでから私は、何かに取り付かれたかのようにオケゲムばかりを聞いていた。聞いていなくても、しょっちゅう頭の中で鳴り響いた。 ・・・まずいと思った。勝手な事を言わせてもらえば、彼の音楽は、天国へ行きたくなるような音楽なのだ。 だから、悲しみに打ちひしがれている孤独な男には、とてもよろしくないので、私は努めて別の音楽を聴くようにした。 脱オケゲム!


しかし、逆に言えば、悲しみに打ちひしがれている時、オケゲムの音楽ほど心に染み込んでくるものはないといえる。オケゲムの素晴らしさについて、機会があればまた詳しく書きたい。 今日は久しぶりに聞いた。YouTubeで音楽をあさっていたら、うっかりヒットし、この禁断の果実を食べてしまったのだ。 イケナイ・イケナイと思いつつ、けっきょく、たっぷり聴いてしまった。


・・・ 気が滅入った。愛するチビッコを失った悲しみが、噴き出てくる。その悲しすぎるほどに美しい旋律が、透明感が、チビッコの思い出と重なり、どうしようもなく悲しくなる・・・


詩に込められたその魂を私は理解しているわけではないが、彼の音楽には、宇宙を感じる。天国と言い換えてもいい。 天国か・・・。そのことについて語った元キャンディーズのミキさんの弔辞に、私は強いインスピレーションを感じた。「私たちにはまだ神様からそちらへ行ける許可が出ませんのでスーさんの分までしばらくこちらで頑張りますね。待っててね」というお話だった。彼女は宗教家なのだろうか。深い言葉がいくつもあった。


ある宗教家の話によれば、自殺は例外なく地獄行きだという。ならば、一生懸命生きず、自分の命をないがしろにする者も同罪なのだろう。難儀な事だ。私は、皆が居る天国へ、いつになったら行けるのだろうか。そう考えること自体が罪なのか。ならば私は罪びとだ。連中と再会できるよう、120歳まで一生懸命生き、善行を積まねば・・・

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「じゃあね、チューちゃん、バイバイ。パパちょっとお出かけ♪」  「ええ!!」

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「私をおいてどこへ行くの!」

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「ひとりぼっちなんて嫌、パパお願い、私を一人にしないで」

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「パパを離さないぞ~」 ・・・ とか言ってたくせに ・・・ チューちゃん ・・・



オケゲム ミサ・ミ・ミ 「神の小羊」 



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第44話 チビッコの幸せ

2011年04月27日 02:55

チビッコは、ご飯が大好きだった。ご飯の時が嬉しくて楽しくて仕方がなかった。犬なら当たり前? いや、そうでもない。神経質なチャウチャウのように、素直に食べない犬は多いし、すぐには食べず、隠して後で食べる習性があるものも居る。また、多頭飼いの場合、ご飯がトラブルの元になることが多い。 あっという間の出来事だったが、ある日、ハイキングの休憩中、妻がイシュにおやつをあげようとしたら、通りすがりの凶暴そうな知らない犬に横取りされ、怒り狂ったイシュが牙を剥いてそれを襲い、哀れその犬、死にそうな悲鳴を上げて逃げて行った、という事件があった。楽しいはずの食事が、死ぬか噛み殺すかの修羅場になりかねなかったのだ。


犬同士の上下関係が安定していればそういうトラブルは少ないだろうが、そうではない場合、食事が大きなストレスになることがままある。飼い主は充分配慮すべきだろう。上下同時に食事、しかし先に渡すのは常に上の者に。食事中犬同士のアイコンタクトを避けるために食べる向きを別方向にずらす、等々。様々な配慮が必要だ。 特にドーベルマンは、同じ犬種すなわちドーベルマンに対しては、強いライバル心を持つという。飼い主の工夫が足りないと、食事が修羅場になる可能性が大である。もしも、取るか取られるかの殺気立った修羅場になっているところに、飼い主がのこのこ出てきて食事中のワンコにちょっかい出そうものなら、それはそれは恐ろしい事になるに違いない。


私が優しく見守るなか、楽しく食事するのが最高の喜びだったチビッコには、そういう事態はありえなかったが、イシュの場合は若干違った。食事中私がちょっかいを出すと、「ふんふんふん」という微妙な声を出して緊張した。「う~~」と言おうものなら、パパやママに恐ろしい目にあわされるだろうから、だから「う~~~」を、必死に抑えようとして、「ふんふんふん」に変化したのだろう。(犬との主従関係が、圧倒的に出来ていてもこうなのだから、万一飼い主がきちんと調教できていなければ、食事中にちょっかいを出すことは、極めて危険な行為といえる。その後のワンちゃんの人生にとっても。)


・・・チビッコと当時のイシュとでは、私への信頼度が違っていたのだろう。しかし、これは断固許せない。「ふんふん」だろうが「う~」だろうが、絶対に飼い主に向かってそんな事を言わせてはならない。放置すれば、うっかり食事中に近寄っただけで犬に威嚇されるようになる。そこで私は、次のような工夫をした。名付けて「お代わりもう一丁」作戦だ。イシュが食べている最中に、マテをかける。そしてフセをさせ、食べている最中の食器を取り上げる(主従関係ができていなければ、危険なのであらかじめ誰かにリードを持っていてもらい、安全に取り上げる)。そこへ、ご飯のお代わりを入れる。あるいはイシュの好物のごちそうを追加する。そして食器を返し、ヨシをかける。


イシュは、これで解決した。そののち、月に数回、食事中私がちょっかいを出すと、イシュは、「うっひょー!待ってました!」と喜んだ。もちろんイシュの期待に応え、大好物のごちそうを餌に追加した。


理想はチビッコのケースだろう。いつも幸せそうに食事をしていた。私は、それを見ているのが楽しかった・・・

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「マテ」をきっちり守るチビッコ。まだ小さいのにオリコウだ。

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「ヨシ」で一気に食べさす。

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おいしい・おいしいと夢中のチビッコ

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「美味しいかい」と優しく声をかけているところ。「うん美味しいよパパ!」と言っている。

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食事は重要だ。いい食べ方をする犬は調教も楽。

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食後の歯磨き。いい食事をした後はしっかり褒める。喜ぶなら少し遊んであげる。



チビッコをしのんで  バッハ ミサ曲 ロ短調


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第43話 キャンディーズ・ヒット曲集

2011年04月25日 18:07

私はキャンディーズが好きだった。音楽はメロディーとリズムとハーモニー。キャンディーズには、その3つがあった。3人のハーモニーが美しく響き、それが他の歌謡曲には無い高い音楽性を持たせた。キャンディーズを知らない世代の元妻は、たまに昔の歌謡曲特集などでテレビに映るキャンディーズを夢中になって見る私に、「おっさん」という言葉を浴びせ、あざ笑っていたが、これはけっしてノスタルジア・郷愁ではない。純粋にキャンディーズが、音楽的に、またアーティストとして優れていたからだ。今ならいつでもyou tubeで見られるが、当時はめったに見れる機会が無かった。


当時は西洋も日本も、音楽の黄金期だったと言える。少し前のビートルズに代表されるように、新しい才能が次々に登場し、活気にあふれていた。キャンディーズは、綺羅星のごとく並ぶそれらスターの中にあっても、見劣りしない魅力があった。 ・・・ だが、彼女達がアーティストとして認められることは無かった。ここにアップしたライブ版などは、ノリの良いバンドと合わせて素晴らしいのひと言だが、アーティストとして敬意をもたれる事は最後まで無く、「どこにでも居るその辺の女の子」扱いだった。彼女達に熱狂する男子ファンも、世間からは色眼鏡で見られ、「ミニスカートに夢中なオタク」、調の扱いだった。たしかにそういう人も多かっただろう。「年下の男の子」を狙い撃ちにする戦略は当たり、一大ブームになっていた。


彼女達を「所有」していた会社が、「ブームのうちに稼げるだけ稼ごう」と、ロクな睡眠時間も与えないハードなスケジュールを強要し、僅か数年でつぶしてしまったことが悔やまれる。当時はこういう非人道的な行為がまかり通っていた。「普通の女の子に戻りたい」と勝手に引退を宣言した彼女達へのマスコミや業界のバッシングは、本当にひどかった。だが彼女達のその決断が、過労死寸前の自身の命を救ったのだ。勇気ある決断を称賛すべきだろう。その後、彼女達のこの決断のおかげで、極めて弱い立場だった芸能人たちが、「引退」という強力なカードを持てるようになった。3人は癒やしの時間をすごした後見事に復帰、特に田中さんは、飛躍的に成長し、美しい大女優になった。


真っ先に復帰した彼女は、「普通の女の子になりたかったんじゃないんですか!」と厳しいバッシングにさらされた。実は復帰は、「もう一度お姉さんをテレビで見たい」と言う骨肉腫になった弟の為のものだった。そして20年にも及ぶ自身の癌との戦い。彼女のあの深い演技は、これらから生み出されたのだろうか。まだ55歳、本当に残念だ。ありがとうスーさん、ご冥福をお祈りします。 田中好子さんをしのんで


ういういしいスーちゃん


素晴らしいノリ。キャンディーズの実力を見せ付ける演奏


さびの美しいハーモニー。 ぐっと来る


このビデオが一番可愛いと思う


ブルースぽい曲。ノリのいいダンス 


年下の男の子
お姉さま路線を定着させた曲


キャンディーズ 日本の宝 永遠の輝き

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パパは誰が一番好きだった? 皆好きだがミキちゃん。今日の弔辞に人柄がよく出ていた。想像通りの人だった。




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第42話 噛み癖防止調教2

2011年04月22日 18:08

第26話の続き。前にも書いたが、ちびっ子は気が強く、非常に攻撃的な性格で、子犬特有の甘噛みも半端ではなかった。しかしある意味、こういうタイプは、調教しやすいといえる。今回は、別のタイプの話をしたい。


ちびっ子の前の子イシュは、性格が正反対だったと書いたが、おとなしいから調教し易かったかと言えばそうでもない。むしろ気が弱かったイシュの矯正の方が難しかった。気が強い犬を抑え、こちらがリーダーソップを発揮して従わせる場合と、気が弱く、恐怖心から暴走してしまう子に、自信を持たせ、さらには「人間は友だちなんだよ」と、納得させる調教をするのとでは、手段も手間も全く違う。後者の場合、何ヶ月もかけ、少しずつ慎重に事を運ぶことになる。矯正しようとする者は、まずそこを確認しなくてはならない。間違えれば最悪だ。


イシュは、あろうことか一時、元妻に、牙を向く時期があった。今から十数年前の話だ。当時流行っていた考え方で、当初てっきり、自分がママよりも上位になったと勘違いした、あるいは、なろうとしているのか、と思ったのだが、注意深く見ていると、どうもそうではない。そうは思えなかった。そもそもうちのママは、犬に上位になられるようなタマではない。ある意味命がけのスポーツといえる乗馬の障害飛越、コンマ数秒を争う競技会の出場経験豊富で、言うことを聞かない暴れ馬を、ムチと気合でねじ伏せてきた女だ。ドーベルマンごときになめられる事は絶対にない。私は、ひょっとしてこいつ、こんな大きな、凶暴そうなナリをしていて、実はとっても気が小さいのでは?と、疑った。 ・・・ やはり、そうだった。(ナサケナイ。もしかしてママが、イシュを、オラオラ!と、可愛がり過ぎた?)


そこで私は、調教方針を、大きく転換した。


例えば、何か道具を使って犬と遊んでいる時、常識では、人間が犬に勝たなくてはならない事になっているが、私は逆に、「きゃあ~~♪」と可愛らしい悲鳴を上げて、わざと負けた。タオルの引っ張りあい等で、ねばったあげく私が負けてあげるのだ。 ・・・ イシュは興奮した。やがて、庭の向こうから凄まじい勢いで私の頭上に掲げたタオルに飛び掛り、獰猛なうなり声を上げて、ぐいぐい引き寄せるようになった。本当に凄まじい迫力だ。私は甲高い声を出して煽り、イシュをさらに興奮させ、激しく力をぶつけ合い、熊にも負けないようなスーパーワンコに鍛え上げた。これを私は、「チューちゃん獰猛化作戦」と名付けた。効果はあった。いつも私にびくびくしていたイシュが、表情豊かになり、生き生きとしだした。(もちろん適時、フセ、マテ等の服従訓練を入れてある)


私は今まで、とても気の弱いワンコに、絶対的な服従を命じ、犬が恐怖を感じるような、厳格過ぎる調教をしていた事に、やっと気がついたのだ。とんだ見当違いをしていたものだ。もしあのままだったら、知らない人が近寄ってきて、いきなり犬の急所である頭を撫でるような事をしたら、イシュは、恐怖のあまり、咬んでしまっていたかもしれない。


自信を持たせてからは、そのような神経質なところは、まったく見られなくなった。そして、自信を持たせてくれた私に、イシュは愛情を感じたようだ。かえって私への忠誠心が、明らかに高まっていた。


私は、「人間は、皆とても優しくて、イシュのことが大好きなんだよ」、とイシュに思わせるために、あらゆる努力をした。例えば、道で人に会えば、知らない初対面の人にでも、積極的に声をかけ、楽しそうに会話をし、私の後ろに控えさせているイシュを紹介し、しゃがんで、イシュを優しく撫で回した。(まだ人への恐怖心がある段階では、その人達に、イシュに触る事はもちろん、イシュの目を見ることもご遠慮願った。しかしある程度矯正が成功した後は、徐々に、そして最後には、おおいに触ってもらった。持参したおやつをあげてもらったり、リードを持ってもらったりまでした)

「人と会う=パパ喜ぶ=イシュ褒められる=人好き」を目指した。


自信を取り戻す作戦と、人を好きにさせるトモダチ作戦の両方を、逆効果にならないよう、注意深く、慎重に慎重に、長い年月をかけて行った。そのおかげでイシュは、素晴らしい犬になった。親バカかも知れないが、私は自信を持ってそう言える。もちろんママに牙を剥く様な事は一切無くなった。



犬の調教はケースバイケース。その瞬間瞬間に、新しい事例が起きていると考えるべきだろう。もちろん常識的な基本は大切だ。本を読むなりして、最低限の常識を持つ事は飼い主の義務。その上で、基本だけでは対応できない、日々の様々な事態を、もし自分の調教技術で解決できれば、それほど良い事は無い。  飼い主は、調教を楽しめるといい。愛犬がひき起こしたトラブルを、苦痛と感じるのではなく、新しい知的ゲームが現れたと考えればどうだろう。原因を考え、解決法をあみ出し、そして実践。


例えそのゲームに勝てなくても、犬は可愛いし、運良く成功すれば、よっしゃー!と、無上の喜びが得られる。調教の研究は、知的な動物である馬や犬を飼う場合の、醍醐味のひとつだと私は思う。

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眼光鋭い猛犬イシュ

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猛犬イシュの仁王立ち

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「へ?猛犬イシュて私のこと?私は忠犬チューちゃんだよ」 という顔。 本当に忠犬だった・・・素晴らしい子だった・・・

最高に可愛いかったイシュに捧げるモーツァルト。イシュは、年を食った頃の写真しかないのが本当に残念だ。

私の大好きな曲。優しい気持ちになれる珠玉の一品




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第41話 戦火の中へ

2011年04月21日 19:37

昨日印象に残る映画を観た。買い物に出かけた折ポスターを見、ふと気が向いて隣接する映画館へ。見たのは、クォン・サンウ出演の「戦火の中へ」。クォン・サンウは好きな俳優の一人だ。彼を初めて見た「天国の階段」というドラマで、死んだはずの恋人を発見し、抱きしめてポロリと涙を流すシーンの演技には驚いた。吹き替えでは到底表現できない史上最高クラスの演技だった。余談だが、最近だいぶマシになってきているが、この頃の吹き替え版は、聞くに耐えないものが多かった。はっきり言って素人の学芸会レベルで、クォン・サンウの熱演とはかけ離れていた。だから私は、いつもネットで日本語字幕本国版を見た。


著作権の関係で音楽も全然違う。例えば、題名どおり音楽に重要な意味を持たせた不朽の名作「冬のソナタ」では、それぞれの場面に厳選された音楽が流され、深い感動を誘う。日本版とは全く違う。なぜこういう事態が起きるのか調べてみたが、根が深いようだ。簡単に言うと、韓国は音楽の自由を求める米国グループに。日本は課金の徹底強化を目指す欧州グループに。だから関連する法律、政策等々、すべてが違うのだ。一企業がどうこう出来る問題ではない。



YouTube等の登場により、強欲な徹底課金グループが追い込まれている今の事態は、不労所得でボロ儲けが出来なくなった関係者たちには気の毒だが、音楽の進歩や活性化に、むしろ貢献すると私は確信している。今のような著作権の厳格化が18世紀に起きていたら、モーツアルトもベートーベンも生まれなかっただろう。この著作権戦争が、自由グループの圧倒的勝利に終わることを願うばかりだ。


最近はシンデレラマンというドラマで、クォン・サンウの見事な一人二役を楽しんでいる。なかなか面白いドラマだ。残り4話、どうなることやら。主演女優は、ユナさんというとても可愛い女優で、たいへん良い演技をする。主役に抜擢されるだけの事はある。どんな子なんだろと調べてみたらビックリ。「少女時代」という見事なダンスと歌を披露するアイドルグループのメンバーなのだ。たいしたものだ。そういえば「戦火の中へ」の主演のチェ・スンヒョン君も、同じようにアイドルグループのメンバーとか。そうは思えないほどの素晴らしい演技だった。彼らの厚みを感じる。





さてこの映画だが、そのテーマには、いろいろ考えさせられた。主人公はこう語る。「人はなぜ戦争なんかするの?」と。それがこの映画のテーマだろう。この映画が、実話を基に作られた映画というのが恐ろしい。あらすじは、70数名の子供たちが戦争に巻き込まれ、突如学徒兵にされ、そのほとんどが戦死する。しかしそのおかげで、多数の人命が救われた、という話だ。敵側は子供たちに降伏を勧告する。「無駄に死ぬことはない。君達は若い。新生統一国家で活躍してくれ」と。しかし子供たちはこれを拒否し、全滅の道を選ぶ。なぜ?


試しにこの状況を、日本に置き換えてみよう。日本も戦後、同盟国だったドイツと同じく東西に分割されたとしよう。本土が沖縄のような地上戦になり、ソ連が参戦すれば、当然そうなったはずだ(※1)。そして東にソ連の傀儡政権が出来、ソ連の最新兵器で武装した東軍が数年後、平和な日々を過ごしていた西側を突如襲う。「統一日本を作る」という大義名分のもとに。当時米軍は欧州等で精一杯だ。瞬く間に西日本を守る西軍は崩壊し、大半の戦略地域を失う。救援の米軍が来るまで最後の砦を死守しなくてはならない、と、こういう状況だ。考えてみれば、この映画の惨事は、アレがなければ、おそらく日本で起きていた事態といえまいか。 

(※1)実際当時日本は、本土での地上戦を念入りに準備し、国民に徹底抗戦を呼びかけている。降伏する気はさらさらなかった。何か妄想的な自信があったのだろう。ところが、アメリカのある最新兵器が立て続けに使われた数日後に、日本は無条件降伏する。天皇の終戦勅語が、この兵器について触れている。地獄の地上戦が行われなかった重要な鍵と言えよう。





子供たちは、平和な村々を突如襲い、逆らう者を容赦なく殺し、人々を支配しようとする連中を、どうしても許せなかった。降伏を拒み、徹底抗戦する道を選ぶ。純粋な少年達による、尊い決断だった。史実によれば、彼らの果たした功績は非常に大きく、おかげで多くの人命が救われたという。この映画の、アクション漫画チックな脚色は少々鼻を突いたが、リーダーが悲壮な決断をし、それを皆が賛同する場面などは、たいへん感動的だった。館内は数人の女性客が居るだけだったが、すすり泣く声が館内に響いた。エンディング終了まで席を立つ人はいなかった。立たなくて正解。エンディングの後半に、二人の生存者が登場する。彼らの証言は、とても重かった。


それにしてもよく出来た映画だ。冒頭から激しい戦闘シーン。血生臭い戦場に駆り出されていた主人公の少年は、優しい上官が殺されそうな時、手が震えて銃を撃てなかった。場面変わって構内で膨大な数の負傷兵の手当てをして血だらけの看護婦から、まだ子供なのに、と優しく手当てされる。それで人間的感覚を取り戻す。校庭に、何も知らない、銃を持った事もない普通の少年達が、学徒兵として集められて来る。戦闘経験のある主人公ら3人がリーダーとされ、急遽訓練をする。しかし少年達は遊び半分、学校の林間学習気分だ。そこでリーダーは、戦死した兵士を埋める作業を命ずる。彼らは死体の山を見て、初めて事態を理解する。やがて初めての戦闘。初めて人を殺し、その夜は皆、眠れない。銃を抱え、がたがた震えながら横になっている。主人公は優しい母を思い出す。そういえば敵の少年兵も、息を引き取る寸前に「お母さん」とつぶやいていた・・・


南北分断以前の韓国(朝鮮)、李氏朝鮮王朝は、500年以上続いた文化国家だが、国の規模はごく小さく、また陸海軍の西洋化が遅れたために、当時世界的に起きていた非人道的な弱肉強食の帝国主義の嵐に呑み込まれてしまった。国の規模がずっと大きく、さらに明治維新という内戦のおかげで、いち早く軍の西洋化に成功していた隣の、彼らから見て異民族に、国を滅ぼされ、支配されてしまったわけだが、幸いその事について、この映画は全く触れられていない。8月15日の開放日が一瞬登場するだけだ。だからそういう事に日本的こだわりを持つ人が見ても損はない。





この映画を観て思うのは、戦争の悲劇だ。人をたくさん殺すほど賞賛される世界が、平和な社会とどれほどかけ離れているか、まざまざと見せ付けられる。


昨年の尖閣諸島漁船衝突問題発生時に、勇ましい政治家やテレビキャスターなどが、大声で、「断固とした徹底した処置をしろ」と政府に求めた。これは、はっきりいえば「中国と戦争しろ」と言っているに等しい。当時夕方の報道番組で、産経新聞グループのフジテレビのベテラン解説委員が、「中国人に対しては、人間性善説はあてはまりません」と強く示唆していた。つまり中国人は性悪だ、日本を襲う怪物だと主張しているわけだ。これは典型的な異民族蔑視扇動で、明確な人種差別だ。私は、まるで戦前にタイムスリップしたような気分になった。


そして、そうやって大いに盛り上がっていた国民の声に目を向けず、戦争を、あるいは戦争になりかねない方向を、避ける手段を選択した菅総理に対し、激しいバッシングが沸き起こる。船長が釈放された時、ちょうど私は、近所の別荘に招待され、一杯やっている時だったが、テレビでそのニュースが流れ、フジテレビの女性キャスターが、「弱腰だ!」と激しく菅総理をののしり、それを見ていたその別荘のおじさんも彼女に同調し、「弱腰外交だ!」「そうだそうだ!なぜ中国と堂々と戦わない!」「菅はケシカラン!」と本気で激怒していた。 ・・・ この人やそのテレビを見ていて、私は怖かった。そこには、相手に敬意を払い、相手の意見も聞くという人として最低限のマナーが、微塵も感じられなかった。




私は、中ロ韓の言い分も詳細に調べてみた。米国等第三国の識者の意見も調べた。その結果は・・・ 【中国】・島は、東京など日本の大都市からははるかに遠いが、中国の大都市からは目の前。実際この漁場を活用しているのは中国だし、地図を見れば国際法の理念からも少なくとも台湾の一部である事は明らかという意見 【ロシア】・既に何世代にもわたりロシア人が居住しているし、日本の態度は、第二次世界大戦の反省から、同意なく第二次世界大戦後の(事実上の)国境線の変更を求める事を禁ずるという国際ルールに反するという意見 【韓国】・確かに日本が韓国を支配した一時期、島も日本が支配したが、徳川幕府の証拠等からも、昔から韓国のものである事は明白。それともまた欲しいのか?という意見 私はこれらに必ずしも同調しないが、それぞれに世界の多くが同調しそうな強い説得力があると感じる。少なくとも日本が独善に浸り、彼らを泥棒呼ばわりするのは間違っている。そういう態度は、典型的な戦争の種だ。


米国のある識者は、「隣接する全ての国と領土問題をひき起こしている国は、おそらく世界でただひとつ、日本だけだ。中ロ間の国境問題で長年争ってきた中ロ両国が、領土問題を見事に最終解決した。日本も見習うべきだ」と言う。日本はこれら近隣諸国との貿易で、膨大な利益を上げているが、それを犠牲にしてまで何の利益も出していない無人島等に拘る愚かさに、いつになったら気が付くのか。もう少し大人になれないのか。一次産品が主要な産業だった大昔の国境思想から、早く成長せよ、まして戦争だ?馬鹿も休み休みに言え、と私は言いたい。よし今度あのおっさんに言ってみよう。でもそんな事を言ったら殴られるかな?「非国民!」というレッテルを貼られ、村八分にされそうだ・・・。


アメリカ南北戦争、第一次世界大戦、等々・・・全てを破壊し、何百万人もの人々が非業の死を遂げた地獄の戦争も、最初は皆、スポーツ観戦程度の感覚の盛り上がりで始まったという。「私とは関係ない知らない誰かが数人死ぬかもしれないが、わがチームが勝って、すぐに終わるだろう。その戦果で、私も少し美味しい思いが出来るはず、わがチーム万歳!」という感じだ。後日、愛する家族を敵軍に殺され、死体とウジ虫と糞尿まみれの塹壕に立ってからその軽薄さを悔やんでも、最早取り返しがつかなかった。戦争を始めるのは簡単だが、終わらせるのは難しいのだ。海保と中国漁船を守る向こうの警備艇が衝突し、撃ち合えば、あっという間にエスカレートするだろう。その後どこまで行けば終われるのか、想像もつかない。今のままの状態では、警備艇と衝突する可能性はゼロではない・・・


この映画を観て、しくしく泣いていた心優しい皆さんが、毅然と~戦争だ~などと勇ましい事を言う連中を、止めてくれる事を願うばかりだ。 エンディングが終わったあと、平和を願い、私はそうつぶやいた。
 
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可愛い寝顔。平和の大切さを痛感する。


この写真に モーツアルトのEine kleine Nachtmusik第2楽章を




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