第234話 犬にしてはいけないこと

2017年03月26日 18:02

他人からされて嫌な事はあるだろうか?当然誰にでもあろう。暴力や暴言、意図的な無視ネグレクトは勿論のこと、過干渉や過度な接触、気安くベタベタされるのも嫌なものだ。人間同士なら言葉にして嫌がることが出来るが人間対犬の場合どうなるだろう。犬は数万年もの人間との付き合いで色々学んできた。勘違いしている飼い主に飼われている犬は、自分の命に係わるので、ただひたすら耐えるしかない。犬とは比較にならないほど巨大な動物、体重500㎏にもなる気難しい馬たちに高度な馬術を覚えさせるためにご機嫌を取りながら宥め賺して調教してきた経験から言えば、犬たちの忍耐力の強さは驚くべきで、特に私が飼っているドーベルマンという犬種の飼い主に対する愛情の深さには、感動すら覚える。

だから私の犬との接し方は徹底している。殴らない、怒鳴らない、無視しない、過干渉をしない、である。過度な接触だけは、飼い主特権で若干やらせてもらっている。先日珍しく我が家に猫を連れた客人が来たが、吠えたてることも無く、「なんてやさしいワンちゃんなの」とお褒めの言葉をいただいた。そんな魔法のような調教が出来るはずないと思われるかもしれないが、事実は今までこのブログで書いてきた通りだ。ヒントとして調鞭の活用がある。勿論相手は犬だから長鞭ではなく短鞭。普段からドーベルマンの長い首を、先端を外した鞭で叩いて首をほぐしてやる。けっこう勢いよく強く叩いてもここは気持ちが良いようだ。うっとりして「もっとやって」という顔をする。しかし!鞭の威力はよくわかるようで、これでお尻をペンペンしようとすると逃げ回る。だから何かに興奮して暴れ馬状態になっても、私が鞭を持って構えた瞬間ビシッとお座りする。

ところで先日見た動画で、多分アメリカでの出来事だと思うが、警察犬のジャーマンシェパードが担当官の目の前でテレビのレポーターの顔を咬むという恐ろしいシーンがあった。当然大騒ぎになり、ワンちゃんは困惑した顔で担当官の方を見ていた。私はワンちゃんに同情を禁じえなかった。一番悪いのはこの担当官だろう。レポーターは、絶対にやってはならない事をいくつも仕出かしていた。それをあろうことか放置したのだ。警察犬に必要な技術を教える達人かも知れないが、愛玩犬アニマルセラピー犬用の調教はその真逆なので、そちら方面の知識は全く乏しかったようだ。

あなたがもし親しくもない他人から自分の体の触られたくない部分をしつこく触られたらどんな気持ちがするだろう(頭は犬にとって他人に触られたくない部分)。また、その男に自分の顔を特に目をずっと見られたらどうだ。そして不気味に上からどんどん近づいてくる。これは馴れ馴れしいとか無礼とかいうレベルをはるかに超えている。女性はもちろん男性でも強い恐怖を感じるだろう。ましてこの子はセラピー犬ではなくその真逆の訓練を受けている犬だ。私からセラピー犬用訓練を受けているうちのドーベルマンなら、こんな事をされても耐えられるかもしれない(もっとも傍にいる私がレポーターにそんな真似はさせないが)。あのワンちゃんからすれば、正当防衛的当然の行為をしたまでなのに、「やはりケダモノ」的な汚名を着せられ気の毒な話だな、と私は思った。レポーターのケガが回復して良かった。ひと咬みで人に大けがを負わせる可能性のある大型犬。扱うには細心の注意と知識と経験が必要だ。飼い主の責任は極めて重い。

DSC_0842.jpg 散歩中私にベタベタしてくる可愛いチュー太郎
 
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第233話 名フィル定期演奏会に

2017年03月21日 19:34

先日おこなわれた名古屋フィルハーモニー交響楽団の第444回定期演奏会に行ってきた。曲目は、ブルックナーの交響曲第8番(ハース版)。場所は、程よく狭く音響が素晴らしい愛知県芸術劇場コンサートホール。指揮者はあまり知らない方だが、名フィルの音楽監督で、輝かしい経歴をお持ちのベテランだ。これだけ揃えば、ブルックナー好きには、楽しみで前日は眠れない程の、大袈裟にいえば10年に一度ぐらいの一大イベントといえるかもしれない。

この素晴らしいコンサートホールは、ブルックナーの交響曲を鳴らすには正に最高で、恐らく世界でもトップクラスではないだろうか。前々から、ああこのホールでブルックナーを聴けたら、どれほど素晴らしいだろうかと思っていたが、ついにその夢が実現したのだ。いろいろな場所でブルックナーを聴いてきたが、音がカスカスになる大ホールは論外として、ブルックナーの響きに浸るには、相当優れた設計のホールでなければ、あの音楽をいかせない。やはり今までは間違ったホールで聴かされていた。あの素晴らしい体験をした今では、そんな思いにかられるほどだ。

とにかく最初の数十秒で、あまりの素晴らしさに私は気絶しそうになった。だが気絶したらもったいない。気を取り直して演奏に聞き入った。選んだ席は一階七列目中央やや右側。左側の金管楽器の響きが懸念されたが、まあ仕方がない。このホールはこんな前寄りでも見上げるようなことにはならず、砂かぶりならぬ汗かぶりみたいな至近距離を楽しめる。目の前に汗だくのコンサートマスターがいる。ブルックナーの超ピアニシモを味わうには最適だ。そしてシンバルやティンパニやチューバが炸裂するウルトラ大音量も、このホールの響きの良さで、見事最高にしびれる高音質に。

演奏も良かった。楽団にとってホームグランドでの定期演奏会は、準備万端に最も力を入れる演奏会だという。それを証明するかのような出来だった。もちろんライヴだから少々のミス?はあったが、そんなもの全く気にならないぐらい感動した。演奏終了後しばらく私は恍惚として口がきけなかった。場内からブラボーの声が上がっていたが、よく声を出せたなと思う。あの曲は5番などのような劇的な終わりかたではないし。私はただ拍手を続け余韻に浸っていた。それにしてもブルックナーの交響曲第8番ハ短調は名曲だ。名曲中の名曲。しばらくあの暗~いハ短調の響きが頭から消えなかった。何日も何日も。テレビを見ていてもピアノを弾いていても響いてくる。困ったので、自分で作曲した癒しのハ長調を聴いた。ハ短調の後のハ長調は特別な効果でもあるのだろうか。何だかとても心が癒された


DSC_1008y.jpg 青(短調?)から赤(長調?)い首輪に付け替えてみた。ガラっと雰囲気が変わった。見た目が可愛くなった?気のせいか前より怖がられなくなったような気が…
 

第232話 甘い話には裏がある

2017年02月27日 12:39

昨日の日曜日、良い事かどうか微妙だが、ちょっとした出来事があった。最近用事でメールをしても返事が一切ない音信不通状態だった元妻が、突然遊びに来たのだ。それも素晴らしいお土産を持って笑顔で「パパ~おはよう」とか何とか言って。この時点で相当怪しいと気付くべきだが、チュー太郎が大喜び。つられておいらも大喜び。妻に捨てられた孤独な単身者にとって、こういうのはやはり嬉しいものなのか。意外なほど心躍る自分がそこにいた。喉が渇いたと言うので冷蔵庫に未開封のペットボトル緑茶があるよと教えると、そこは10年以上暮らしていた家、つかつかと冷蔵庫に一直線、棚からコップを取り出し、はしゃぐチュー太郎を制止しながらお茶を飲み始めた。

お土産は何と、ほぼ新品状態の高価な大型ゲージ!今まで使っていたゲージは、普段私が二階の寝室で寝るとき以外は使わないので、もう20年以上前のボロボロのポンコツのまま。サイズも起き上がるとつっかえるぐらいの大きさ。さっそく取り換えると、今までよりかなり広い!しかもピカピカ。おおママ、サンキュー!!

しかし!世の中、うまい話には裏があるもの。なんと!車一杯に詰め込んだ、いらない荷物を、置かせて~だって。最近たまたませっかく大掃除して家をピカピカにしていたのにこのゴミの山はいったい何? そもそも既に二階の一部屋は彼女が置いて行った不用品で一杯の倉庫状態。そこも先日の大掃除で一生懸命整理したばかり。「お、パパお家すごく綺麗にしてるじゃん」と誉められても、うれしくないっす。で、結局もう一つの空き部屋、二階の和室の押し入れに詰め込むことに。まあこれで見た目は殆ど変わらず綺麗に片付いたけど…ク~微妙~。

荷物の中身は、箱類の中は見ていないので不明。その他、彼女の趣味のペット用ネズミ類やウサギ用のゲージ、乗馬馬用の着衣(馬着)などがあるが、一応キレイにしてあるようだけど、二階の和室の押し入れに入れるのはかなり微妙。一時的に置かせて~と言うが、離婚してこの10年余、荷物が増えた事はあっても減ったためし無し! ゲージは、購入して使ってみたけど大き過ぎて自分の家では無理・邪魔なので、ウチへ持ってきたのだそうな。ウチだって、これで玄関が相当狭くなったけどね。でもまあ、チュー太郎には前のゲージより圧倒的に良いだろうから、これは吉とするか。暖かい良い天気の中、なんやらかんやらチュー太郎と三人でワイワイガヤガヤ半日楽しかったしね…

今朝の様子。新しいゲージ、快適だった模様
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自画自賛だけど正面の絵は僕の最高傑作かな。見ていると心が落ち着く
 

第231話 心の病アディクション

2017年02月04日 13:24

体の健康度と同じように心の健康度も人それぞれでまたその日によって健康度が違ってくる。だから健康度の低い人を蔑視するなどナンセンスというべきだ。心の病を抱えている人を見下すのは、風邪をひいていない人が風邪をひいた人を見下すようなもの。その前提で誤解を恐れずに言えば、風邪をうつされないために防御策を講じるように、例えばDVにさらされているような人は防御策を講じるべきだろう。さもなければ風邪をうつされるように病がうつり、さらに風邪のように方々に病をまき散らすことになる。残念なことにDVを受けた瞬間に病をうつされる可能性が高いようだ。特に善良で思いやりのある優しいお姉さんタイプの女性は。巧みに心を操られ悪いのは自分と洗脳され、実際は何も悪くないのに自分の至らなさを責め、過去を美化され共依存状態に陥ってしまう。放送大学の精神看護学の講義で松下年子先生がおっしゃっていたが、環境をアディクションが起こらない状態にすることが大切だろう。この場合女性は一刻も早く自分の置かれている状態を知り、DVから離れるべきだが、多くの場合離婚訴訟などで弁護士から勧められ専門医の診察を受けて初めて自分がどういう状態に置かれていたのか気付くようだ。なおアディクションについては、宮崎県の大悟病院のページが分かりやすく解説されているhttp://www.fujimoto.or.jp/daigo/addiction/

先日古い付き合いのある友人(女性)から、同居している彼氏が白内障で失明した要介護の父親に向かって日常的に罵声を浴びせている、そして自分にも、という相談を受けた。彼女は社会的に重要な仕事をしているが、妻でもないのに彼氏は、仕事をやめて俺の父親の介護をしろと迫っているのだという。誰に言われたか知らないが「あなたも悪い、もっと彼に尽くすべき」みたいなことを言われたようだ。典型的な操作行動をされたか。これは例えて言えばアルコール依存症の夫の妻に「あなたも悪い、ケチらずもっと彼にお酒をあげるべきだ」と言っているのと同じだろう。DVを悪化させ共依存を助長しているようなものだと思う(その「DV彼氏」は境界性パーソナリティー障害のクロスと思われるが、その攻撃性や自己破壊行動、操作的行動にかかれば、思いやりのある善良な「彼女」はひとたまりもないかもしれない)。精神科医でもない素人の私がこのような事例について相談に答えるのは、あのような間違ったアドバイスをする可能性があり慎むべきだが、自分の知識の範囲内で時間をかけて説明した。あなたは何も悪くない、責任を感じる必要は無い、DVから一刻も早く離れること、それがアディクションの悪化を防ぎ本人の為にもなると。帰宅後様々な文献を調べ検証し特に間違った事を言っていないことを確認したが、DVが悪化してきた場合はやはり専門医のメディカルケアを活用すべきだろう。酷いやぶ医者に当たり薬漬けにされる恐れはあるが。


ところで酷いペットロスに陥った経験のある私は、ペット依存症といえないだろうか。もう今のペット、三代目ドーベルマンのチュー太郎に24時間べったりくっついて離れないような分離不安満開の私はアディクションそのものと言えるかも知れない。数年後には確実に来るチュー太郎の死。その時孤独な単身者の私の精神はどうなってしまうのだろう。素早く可愛いドーベルマンの子犬を購入する手はある。だが、半分冗談でドーベルマンをイネイブリング、イネイブラーを二代目三代目のドーベルマン・チューちゃん達とすると、四代目以後はもっとひどいアディクションになるのだろうか。多頭飼いはしていないのでマシだろうが、例え一頭でも結局のところ最後の事を考えると…と思わず哲学的になってしまう。最後のチューちゃんはごめんね、なんて言語道断のジョークだわな。ふ~(ため息)

可愛い可愛いドーベルマン、チュー太郎
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放送大学の松下年子先生の精神看護学の講義
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第230話 涙に暮れる日々

2017年01月15日 12:50

最近よく母を思い出す。米国在住のメル友のお姉さんから、「娘は可愛い妹のようなもの。息子は赤ちゃんの時から恋人」というお話を聞いて以来、母の愛を強く感じるようになった。私たち男4人兄弟が、どれほど母から愛されていたか、数え上げたらきりがないエピソードが思い出されてくる。その都度涙に暮れてしまう。 第222話 母永眠 で書いた、残された母手作りの食材。冷凍されているので日持ちはするだろうが、そうほってはおけない。少しづつ食べていて、もうだいぶ残り少なくなってきた。無くなったらもう追加されることはない。それが悲しい。昨夜は謎の食材があった。ヨモギで作ったゼリー?「母ちゃんこれ何?」「あ、うまい」「料理にどう使うの?」などと独り言を言いながら食べた。そして突然号泣してしまった。

最後の最後に私は母を泣かせてしまった。第221話 であるように私はあろうことか見舞いをやめ、山に帰ってしまったのだ。その時の母の悲しみは如何程だったろう。母は泣き、驚いた看護婦さんが「どうされたのですか?」と聞くと、「この子が山に帰るというの」と言った。母や看護婦さんは、もう「近い」ことを知っていただろう。兄や弟は忙しい仕事を抱え、私は見舞いの中心になっていた。その私が山へ帰るというのだ。なんという親不孝をしてしまったのだ。あの時の母の悲しそうな涙を思い出すと、胸が潰れそうになる。

母がもうすぐに死ぬだなんて、私はそんなこと思いもよらなかった。冗談を言って皆を笑わせたりと普通に元気そうに見えたからだ。また何よりそんなこと考えたくもなかったのだろう。脳はあまりに悲しい現実は見ようとせず都合よく考える。完全に判断を誤った。ゴージャスな病院で若くて可愛い看護婦さんがたくさん居て、おしゃべりが楽しかった。昔と違いスマホがあるから犬の動画や写真を見せたり、ピアノの演奏を聴いてもらったりと、毎日の見舞いを楽しんでいた。山に薬を忘れてきたのが痛恨の極みだった。それが無ければわざわざ高い費用をかけて往復8時間も車を運転して山に戻ることはなかっただろう。何というドジだ。

思えばドジな私が一番世話をやかせた息子だろう。母の頭を抱えた私の腕の中で母は息をひき取った。「母ちゃん俺だよ○○だよ」「母ちゃんありがとう」と言った。主治医の話によれば、最後まで耳は聞こえるのだという。聞こえているようだった。かすかに涙と笑顔を浮かべ、そして旅たった。旅たつときの荘厳さ、人の命の尊さを、私は両手で感じた。あの感触がいまだに残っている。広い一軒家に一人住まいの私。一人しかいないので照明は最小限、夜は当然暗い。「母ちゃんこれ何?」と独り言をつぶやきながら謎の食材をつまみ、深々と雪が降り積もる庭を見ながら、美味しいバーボンを飲んだ。酒はこういうとき役に立つ。そして、モーツアルトのピアノソナタ第11番の第一楽章を静かに弾いた。傍で母が聴いているような気がした。
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翌朝庭の大雪にチュー太郎もびっくり
DSC_0932.jpg DSC_0945.jpg DSC_0944.jpg DSC_0939.jpg DSC_0934.jpg 豪快な食べっぷりがいいね!